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和牛の祭典in長崎への旅(3) 長崎市内観光そして帰郷 [-2012旅行]

早朝からのこの景色と好天により、山形を出発前はすぐれなかった体調も回復MaxでVIVA長崎。

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本日最終日は長崎市内観光と山形への帰郷で、
計画書による市内観光は、まず最初にグラバー園、大浦天主堂、次に移動車窓から眼鏡橋、
そして平和公園となっている、まずは基本のオーソドックスなルートで愉しみだ。

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部屋を退散しロビーでみんなの集合を待っていると、会長が来てフロントのオネーさんへ、
「長崎市内の観光ってどこへ行けばいい?」 などと聞いている。
「・・・・・・(T_T) 」 この後に及んで非常に嫌な予感を抱く私であった・・・。

さて、バスは昨日上った激坂を下り始めるが、
雪国では有り得ない道路設計に改めてその狭さと勾配に朝一番から緊張感を抱く。

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同行の1名が福岡市に所用があり直ぐに移動したいので、JR長崎駅へ送ることになった。
市内大通りは路面電車が間髪を入れず数多く走っているので、
右折位置、タイミングが難しく、慣れていない運転手も冷や汗だが何とか到着だ。

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そのオヤジさんを降ろし見送った後、さて、右折してグラバー園へ向かうのか、と思いきや、
運転手はウインカーをカチカチと左へ・・・
あれ・・・? なんで予定最初のグラバー園へ向かわないの?と疑問を抱いた私は、
「グラバー園には行かないのですか!?」 と前へ声を掛けるが、運転手も会長も無言・・・。
ムムッ、無視? この2日と先ほどのフロントの会長の様子より、
これはこのまま平和公園のみを回り福岡空港まで移動なのか、と残念な気持ちが込み上げる。

各位ご承知のように、私は欲張りで1人ならばエネルギッシュに行けるところまで行く人間なので、
そうそう来ることの出来ぬ九州での貴重な機会なれば、といつもの1人行動全開モードであるが、
素直に案内されたところを皆と愉しもう、とみんなと和モードへ気持ちを切替えてシフトチェンジ。
マイナスへエネルギーを使うことは損だもんね (^_^)v

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約10分走り、長崎市平和会館わきの駐車場へバスを駐める。

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隣接の長崎原爆資料館を見学する。
被爆時の町の惨状をリアルに再現したセットの凄まじい光景がいきなり目に飛び込み、
膨大な遺品、写真などの展示に胸が痛む。

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地形模型とモニターにより被爆位置、経過を解りやすく再現している。

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その時間11時2分(1945年8月9日午前)で止まっている柱時計など。

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投下された長崎型原爆(プルトニウム型:ファットマン)の実物大模型。

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その他様々な資料の中、最も辛く感じたのは、やはり被災した人々のむごたらしい写真だ。
燃え尽きて骨だけ、或いは黒焦げ、重度の火傷、子ども、幼い赤ちゃん・・・絶句だ。

YouTubeに展示と同じ、また似たような写真がアップされている。
私は、現実として同じ日本で起きたことを知るべきだと思うし、
日本人として忘れてはならぬ後世へ語り継ぐ義務があると思うので勇気を持って直視する。
(以下にリンクを入れるが、気分が悪くなるかもしれない方は遠慮した方がよいかもしれない。)

  → 広島・長崎、米国による無差別大量爆殺兵器、原子爆弾の脅威

朝一番から気持ちが重くなる。
戦争云々に対する考えに及ぶと、今回は靖国神社参拝とは異なる気持ちを抱く。
「無抵抗な多くの民間人へ何ということをしてくれたんだ!」 と怒りしか沸き起こらない。
そして同時に憎しみも。憎しみは憎しみしか生まぬが、それがその時の正直な気持ちであった。

そんな思いを胸に隠し、隣接する公園=原爆落下中心地へ行く。

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あの日、この上空約500mでB29が落下した原子爆弾は炸裂したのだ。
先日、先々日に続き、先客は韓国観光者の御一行だが、彼らは何を感じたものか・・・。

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その片隅には護岸工事で発見された被爆当時の地層が残されているが、
そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、
約3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没している。

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さらに隣接する小高い丘の平和公園へ歩みを進めると平和のシンボル、平和祈念像が出迎えだ。
天高く指す右手は原爆の脅威を表わし、水平にのばした左手は世界の平和を表わし、
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。

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そして平和の泉。
水を求めながら亡くなった被爆者への祈りと、恒久平和を祈願するためにつくられたものだ。
その石碑には以下のように刻まれていた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 のどが乾いてたまりませんでした
 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
 どうしても水が欲しくて
 とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
                          ---------- あの日のある少女の手記より

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非常に切ない気持ちになり、あたらめて合掌する。
その傍らでは犠牲者の冥福を祈るように綺麗な虹が現れていたことが対照的であった。

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このように悲惨な状況を経て今日の日本があり、
現在我々は平和で豊かで幸せな生活を享受していることを感謝しなくてはならないと思う。

・・・と、そんな厳粛な気持ちになり一行を追いかけると、
その日の暑さと歩き疲れからか、みんなは自販機でジュースなどを買っている。
つい先ほど平和の泉を通った直後のことゆえに、何だかなぁ・・・と複雑な気分だ (T_T)
単なる体力不足?=この人たちは本当に肉体労働の農家なのだろうか? などと疑問も・・・。

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悲惨で忘却したいほどの辛い歴史だが、現在は観光資源となっていることに皮肉を感じるが、
まずは、この出来事を忘れずにゆくことが犠牲者への供養にもなろうと思う。

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原爆資料館では各種書籍、もちろん写真集も販売されていたが、
いつもは、よく記念に書籍等を購入する私だが、その日はどうしても購入する気になれなかった。

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次の写真集があったが、帰郷後の自宅PCのAmazonでも購入可能な便利な世の中なので、
日本人として語り継ぐべく、我が家の書棚にもポチッ、とな。


原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】

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  • 作者: 清水 博義
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 2005/03/18
  • メディア: 大型本



トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

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広島・長崎―原子爆弾の記録

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  • 作者: 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会
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  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 大型本



さて、この後の予定であるが、
平和祈念像の前で自称観光案内ボランティアというオジさんがさりげなく近寄ってきて、
特に予定が無いのならば、クルマで観光地へ先導するので付いてこい、と言う。

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しかし話を聞き進めてゆくと、どうも胡散臭い。
「バスから直ぐ降りて見られる眼鏡橋へ行く方がイイ。その後は帰路の高速道も近いから」
「お土産はカステラがイイが、ちょうど眼鏡橋前に匠寛堂という有名店があり美味いよ」
「グラバー園や大浦天主堂など遠いから行かない方がイイ」
「匠寛堂のカステラが1番美味い。他は不味いものばかりだ」
などなど、他を排他否定する言い草と、
どうしても眼鏡橋の匠寛堂へ連れて行きたい意志が見え見えなので、我らは気付く。
ああ、そのカステラ店の回し者で、観光案内など二の次なのだと :-)

ま、太っ腹の我らは、それも旅の思い出として、いっちょ乗ってやろうと決定しオジさんに続く。

そして市内を走ること約10分で多くの石橋が連なる中島川の眼鏡橋前に到着し、
お土産を求める人は、そのカステラ店匠寛堂へ行く。
何でも毎年皇室へ献上する立派な店らしいが、
こんな姑息な手段で売り上げを伸ばす店を私は軽蔑する。もっと正々堂々と勝負しろ!
・・・でも一応試食はする。美味い。でも買わん。あばよ!

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“ 団子よりも花 ” の私は、それよりも石橋群の風情の方が気になる。

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これが眼鏡橋。

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ひとり旅ならば思う存分ゆっくりと歩いて巡りたいものだが、
今回は時間も限られているので、他の石橋も眺めるべく両岸を早足で駆け抜ける健脚な私だ。
周囲のお寺も、その裏の坂本龍馬の銅像亀山社中記念館なども垂涎の地なのだが・・・。

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その後は消えたオジさんをよそに、さほど遠くないグラバー園方面へ向かうことにする。
遠くて無理、などといい加減なことを言いやがって、あのオヤジ (-_- # )
まずは結局グラバー園と大浦天主堂へ行くことになり、早朝の消化不良も消えて心躍る私だ。

ふと隣を走るバスの行き先=“ 女の都団地 ” なる地名に軽く反応する私 (^^)v

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“ グラバー園へはここを左折 ” という大きな看板を無視してナビに従いバスは行く=大いに不安。
案の定、狭い急坂へ入り、道を間違えて無理に切り返しして、さらに激坂を上ることしばし・・・。

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何とグラバー園の出口に来てしまったらしく、駐車中の観光タクシーのオッちゃんに、
「ここにこんな大きなバスで来てはダメだよ! 向こうの下に置いてきな!」 と注意を受ける。

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またしても狭い場所で無理に切り返して先ほどの激坂を下るべく右折を試みるが、
車体は大きく右へ傾き非常に怖い! 対向車もドンドン来るしでモタつくことが異様に長く感じる。
・・・運転手さんの苦労も判るし、みんなと同様に私も、もうお腹いっぱい・・・(T_T)

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ここから駐車場を探し移動するのも大変そうだし、結局このまま長崎市内を退散することに決定。
隣接する国宝 大浦天主堂の拝観も非常に惜しいが、
今回の観光は行き当たりばったり旅なので、こんな展開も受け入れますか (^^;)
あまりに呆気ない幕切れだが、何だかんだ云っても愉しかったしな (^^)d
さらば長崎市内! またいつの日か (^^)/

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さて大村湾沿いの長崎自動車道のPA、SAでも名残惜しいかな長崎。

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ここでも、これでもか!という遠い異国の地の、ご当地名物のラッシュに敢えなく陥落し、
名残惜しむように角煮まんじゅうと長崎チャンポンを愉しむ至福の時・・・(^^)d

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しかし県内どこでも、和牛能力共進会へやってきた多くの各県の方々の姿を目にした。
何れも帽子やジャンバーを誇らしげに着用しており、特に御年配が多いようだが、
その仲間同士で話す方言言葉がまた解らない。
このSAでは宮崎軍団だが、昨夜のホテルロビーの島根軍団も外国人かと勘違いしてしまった。
まぁ、所変われば私の両親も同じだがね (^^)~♪

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初日は小雨で煙り視界不良の佐賀市内の様子も今日は好く見える。
このように高速道移動時も車窓景色と頭の中の地図を重ね合わせることが好きな私だ。
太宰府近くに至れば、太宰府八幡宮は、あの辺りか?などと忙しいのだ。

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やがて福岡空港へ到着し、長崎駅で別れたオヤジさんとも合流し、
17時30分出発までの2時間半を空港内でブラブラして過ごす。

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展望所へ行くと先客は “ 飛騨牛 ” さん。
まさに5年に1度の和牛関係者の一大イベントであったことが、ここでも実感できるかも。

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私たちが利用するFDA便も到着している。
周囲の作業のようす、特殊車両、施設、設備の数々などを、ただ眺めていても飽きないが、
何よりも作業員のキビキビした動作、作業が傍目にはすこぶる気持ちが好い。
このようなことから飛行機の安全が確保されるので、我々も安心して空の旅を愉しめるのだ。

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軽く飲み食いした後に予定通りに福岡空港を飛び立つ。約100分ほどのフライトはあっと云う間だ。

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新潟空港で会長のあいさつにより締めとする。

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本目的の和牛能力共進会への陣中見舞い、応援は、
同じ置賜地域の和牛農家の仲間として共有できて有意義であったし、
観光に関しても、珍道中が旅をいっそうと彩り忘れられぬ思い出ともなり、
充実した時間を過ごすことが出来た。
全ての関係各位に感謝申し上げる m(_ _)m                 (終了)

PS. 番外編もよろしく m(_ _)m  → 長崎美味いもん道中


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