SSブログ

真田氏の史跡を歩く(4) 上田市街地にて [2013旅行]

ついにLOVE♪LOVE♪な真田幸村と再会を果たし気分は絶好調 b(^^)d
やっぱりBGMは・・・  → 真田太平記 オープニングテーマ

40.JPG

本日は、まずは真田氏を語る上で欠かせない聖地上田市街地で、
砥石城跡、上田城跡、池波正太郎 真田太平記館を巡る。

41.JPG

砥石城跡は当初計画では先日夕方訪問であったが、
いざ各所を巡り始めると興奮ゆえか微妙に時間を費やし本日へスライドだ。

42.JPG

砥石城跡は村上義清勢力下時に武田晴信(信玄)が攻めたが、
「砥石崩れ」と呼ばれる有名な負け戦の舞台となった堅城だ。
それを武田配下の幸隆が翌年調略によりわずか1日で制圧し、
その後真田氏の城となり、昌幸が上田城築城までは主城であった。

遠望で綺麗な台形の威容の山城を、
地形図でも険しさが容易に想像できる堅城を、
歴史背景に想いを馳せつつ、我らも勇躍出陣だ (^^)d

43.JPG

この場に似合わない「なめんなよ!」と軽薄で挑発的なコメントがお出迎え。

44.JPG

しかしその後に待ち受けたは、誠に中途半端な門で、
中央には中学校の体育祭の各陣地に飾られるような、
イケメンキャラクターが描かれた看板が!
ひと言で片づければ、「浪漫もセンスも無い!」(ToT);;;

45.JPG

拍子抜けの気を取り直し、道を進めば上り坂ゆえに次第に息は荒くなる。
これは軽い登山、トレッキングの部類に入りそうな嫌な予感が・・・。

46.JPG

なんとやはり! あまりの急斜面によりロープが張られている!

47 .JPG

まずは端っこの米山(こめやま)城を制圧。
ちなみに第1回米山城まつり記念のベンチ日付は昭和59(1984)年10月27日。

48 .JPG

49.JPG

下りは上り以上に危険なことは、山歩きの基本中の基本だ。
ここに“愉しい観光”などと呑気な雰囲気は無く“生死を賭けた”行動と云えるかも。

51.JPG

米山城跡を一旦下るといよいよ砥石城跡への上りだが、
こちらも長く急坂なので階段が設置されていて非常に助かる。
まったく宝くじ助成金様々だ <(_ _)>

52.JPG

さすがの健脚な私も寒風をものともせず大汗だ (>_<);;; ん?鼻水も m(^_-)m

53.JPG

しかしそれに引き替えの眺望は素晴らしい!
手前には先ほど登った米山城跡、そして上田城跡が続き、遠くには別所温泉も。

54.JPG

55.JPG

既にゼンマイが切れたオバさん2名を残し、
せっかくの歴史的舞台の山城なれば、行けるところまで制圧だ!

57.JPG

本城跡には石垣も残り、まさに戦いの舞台の雰囲気を漂わせている。

58.JPG

奥の桝形城跡への最後の上りを攻める。

59.JPG

ここで本当の、やったぜ砥石城跡制圧 (^^)v

60.JPG

昨日辿ってきた鳥居峠方面、訪問した長谷寺、真田本城跡などが。

61.JPG

大手口へのつづら折りを延々と下る。まったく凄い距離だ (ノД`)

62.JPG

この山裾の伊勢山地区は歴史的風情のある街並みが続き、
当時の家臣団たちの住居跡だったかも。

63.JPG

さすがに大規模で険しい山城だったゆえに、
上り始めから駐車場へ戻るに1時間半も要してしまった!
(昨夕方にムリに挑まず正解=遭難してしまったかも (×_×))

詳細はこちら → オレの城!砥石城 (coming soon ♪)


さて再び上田市街地へ向かい、いよいよ上田城跡だ。
昌幸が築城し、徳川の大軍を2度迎え撃ち2度とも撃退した城跡だ。

1585年徳川軍7000人を真田軍(昌幸、信之、幸村)は2000人で迎え撃ち、
徳川軍に死傷者1300人あまりを出させ潰走させた神川合戦(第1次上田合戦)。
1600年関ヶ原の戦いに際し、西軍(豊臣軍)に昌幸、幸村が、
東軍(徳川軍)に信之が別れ、徳川秀忠率いる徳川本隊の3万8000人を、
わずが3500人で迎え撃ち、1週間釘付けにし見事に撃退し秀忠に攻略を諦めさせた。
そして結果的に徳川本隊を関ヶ原決戦に遅参させた第2次上田合戦。


その誇りある上田城跡に16年ぶりに推参なり~b(^^)d☆♪☆♪☆♪

65.JPG

ちなみに有名な真田十勇士は架空の人物・物語ですぞ。お間違えなく。

66.JPG

城内の真田神社へ参拝。

67.JPG

幸村のでっかい兜オブジェ設置の意味がよく判らんが・・・御神体?

79.JPG

詳細はこちら → オレの神社!真田神社


城自体に遺構は少なく再建が多く残念であるが、
実戦を経験(特に精強な徳川軍相手に)した、
この場所であること」がファンの心を限りなく熱くさせるのだ!

80.JPG

だからバリアフリー化工事などと城内に舗装道路が施設され、
チャリンコの爺ちゃんが通ろうとも、涙せずにっこりと聖地を讃えたい。

68.JPG

そして十勇士看板で大きなお尻を向けるオバちゃんたちも微笑ましい。

69.JPG

詳細はこちら → オレの城!上田城 (coming soon ♪)


さて余韻を引きずり隣接のお土産物店で経済活動に勤しみますか!

71.JPG

2階は三代のレプリカ甲冑を眺めての無料休憩所。

72.jpg

1階入口脇には駅前と同じ幸村銅像と玩具ダイヤブロック製甲冑が展示。
ブロック製甲冑は約6300個にて約23.5日(177時間)を費やした大作らしいが、
一体誰が何を訴えたいのかよく判らん (T_T)? でも信者作ならば判るかも (^^)

73.JPG

聖地にて買いも買ったり六連銭グッズたち (^^)v
ワッペンは愛車軽トラに貼ろう!(軽トラ自体も赤く塗装し直すか(^_-)☆)

74.JPG

75.JPG

続いて池波正太郎 真田太平記館だが、
そもそも同氏作の『真田太平記』で具体的なイメージを膨らまし世界観を築いたし、
その余波で同氏の他の歴史時代小説も好きになった。
『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『藤枝梅安』などネ。 
そんなアレコレでファンは訪問してみたいのだ。
  → 池波正太郎 真田太平記館
  → 池波正太郎 公式ホームページ

77.JPG

チビたちはつまらないかも、と危惧していたが、
暗い洞穴通路を幾度も走り回り愉しんでいたようで助かった。

私はここでも記念にと、上田紬製の巾着を購入だ。
地元の特産品で丈夫さを「3代100年使用可能」との売り文句が、
今回の「真田3代を巡る旅」コンセプトの琴線に響いたりするので (^^)♪

78.JPG

さて、そんな満足感に浸り、ふと時計をみると12時58分!
この後は長野市松代地区へ突撃計画で、16時には家路へとつきたいが、
上田市からの移動時間も考慮すると時間が無い!
(やはり計画変更の砥石城跡で時間を費やしすぎたか・・・(ノД`))

ああ、どうしよう・・・(>_<)                    (感動の最終回へつづく



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント