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南三陸町にて(1) [-2013ひとりごと]

先に、とある忘年会へ参加してきた。
宿泊先は宮城県南三陸町(旧志津川町)の南三陸ホテル観洋だ。
  → 南三陸ホテル観洋 公式ホームページ

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以前より有名な大型温泉ホテルでその名は知っていたし、
約20年以上前に仙台市より気仙沼市や大船渡市へ行く際に、
R45にて数回通過したことを覚えている地域でもある。
今回はその時以来の訪問だ。


前日は暗く、かつ大雪であった中でのチェックインのため周囲の様子は判らずじまい。
この時期の太平洋側での、あの雪の量は異常気象かも。

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ホテル自体は志津川湾に面し、館内各所より素晴らしい眺望が得られる。

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その北側に目を移すと・・・

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町の中心部が望める。
この町も2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を被った場所のひとつだ。

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当時の映像はYouTubeで見ることが出来る。
【注意】 地震・津波の衝撃的な映像、叫び声などが含まれています。
精神的ストレスを感じる方は­閲覧をお控えください。
  → 南三陸町志津川高校から見た津波の様子(完全版)
  → 【個人撮影】南三陸町津波【東日本大震災】【東北地方太平洋沖地震】【転載】

そんな地域なので翌朝ホテルの、とある企画へ参加してきた。
宿泊者限定の「震災を風化させないための語り部バス
料金 : 大人(中学生以上)500円 子供250円   所要時間 : 約60分

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コースは最初にホテルを南へ進み同町内戸倉地区を折り返し、
再びホテル前を通過して北通し、かつて中心部であった地域を通り、
小山部へ至り再び中心部へ進み、ホテルへ戻る約1時間の道中だ。

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本人も家を失った等を体験しているホテル職員さんがガイドを務める。

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最初に戸倉小学校跡。

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日頃の訓練どおり直ぐ裏の高台へ避難し幸いに全校生徒は難を逃れた。
しかし当日は降りしきる雪の中、低学年児童はお堂に待避し、
高学年児童は周囲から薪を集め焚き火で暖を取り、
歌を歌って気を紛らわして、その夜をしのいだとのことだ。

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バスの中では小さいすすり泣きが聞こえ始める。

当時の写真。
目の前で起こる津波の様子に、幼い子供たちの心は如何に恐怖したことか。

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次は北へ移動するが、平行して走るJR気仙沼線は列車運行を止めて、
レールを撤去し舗装してバス(BRT:バス高速輸送システム)を運行させている。
  → 気仙沼線、8月にBRT一部開業 - 鉄道コム

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ほとんど更地の、かつて町内の中心地域を通り過ぎて小山部へ。
役場や消防署などの行政中枢が集まる場所だが、全て仮設らしい。
そして仮設住宅も行く先々に確認できる。
いままだ被災の爪痕に苦しむ町の様子は容易に想像される。

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再び志津川湾へ降りてくると、遠くにホテル観洋が見える。
当時ホテルは幸いに被災せず、その後の対策本部等が置かれ、
救援物資を保管するなど、地域活動に大きな役割を果たした。

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再開した魚市場の脇を通り再び中心部へ。

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TVでも幾度も目にした、鉄骨の残った防災対策庁舎へ。

バスへ乗り込んでガイドさんより最初に受けた注意の中のひとつ、
どうか記念撮影はご遠慮下さい」が繰り返し語られる。

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当時、職員や関係者は約50人がいたが、最終的に屋上へ避難した人の中で、
生き残ったのはわずかに10人とのことだ。

次は職員自身も津波にのみ込まれる瞬間まで、
そこで写真撮影を続けた、まさに「命がけの1枚」だ。(幸いにその職員は存命)

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この建物の高さが津波で襲われたと思うと身震いする。

同様にTVで見た、ここは女性職員の必死の避難呼び掛けが行われた場所でもある。
【注意】 地震・津波の衝撃的な映像、叫び声などが含まれています。
精神的ストレスを感じる方は­閲覧をお控えください。
  →  “ 高台に逃げて ” 命の呼びかけ 南三陸町一万の命を救った一人の女性

女性職員は後日遺体で発見されたが、
同じく呼び掛け続けた男性職員は未だ行方不明のままだ。

その彼らと、他の多くの方々のご冥福を祈り手を合わせる。

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この防災対策庁舎は、「後世へ語り継ぐために残すべきだ」という意見と、
目にするとあの時の様子が思い起こされて辛いので撤去すべきだ
という意見に二分され、町議会では撤去することと決議されたらしいが、
その後も様々な諸事情があるらしく現在は据え置きらしい。

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私は静かに見守るのみだ。

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このように当地を個人でもクルマ等でただ巡ることはできるが、
やはり被災地の、ご自身の体験も含めた案内、説明は重く心に迫るものがある。
被災地の悲しみを僅かでも共有できたような神妙な気持ちと、
自然と自分の日頃の生き方、在り方等を問う気持ちが去来する。

・・・良い機会に出会えたものと感謝する。

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そんな様々な想いに胸は満たされて、やがてホテルに到着し終了だ。
ではバスを降りようかと思った時に、些細なことだが気になったことが。

前席の人から順序よく静かに降りれば、と思っていたのだが、
とたんに後ろ席から勢いよく歩き出す人がいて、前の席の人が立とうをするのを妨げる。
前席には御年輩も多く、中には足の不自由そうな方の姿も見受けられる。
ゆえに後ろから勢いよく歩き出しても直ぐに降りて行けない。
そんな後ろ席の人々が次々と立ち上がり歩き続き行列を為している。
今は1分を惜しむような状況ではあるまいに、なぜに人をかき分ける?
確かに成文化しているわけでもなく、誰に言われるもないが、
何となく、スムーズな順番等のルール、譲り合う等のマナーがあるのではないか?

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たった今見てきてきた被災地の様子から何を感じたのであろう。
たぶんあの人たちは、いつもの観光気分と何ら変わらないのかもしれない。
この企画の趣旨をどう捉えるのか?
見て・・・聞いて・・・感じて・・・そして伝えてほしい

何だかなぁ・・・神妙な気持ちが打ち砕かれたのは私だけであろうか・・・。

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何はともかく、人のことはさておき・・・
今回はこのような機会は全く思いもよらずに、
ただの宿泊先として訪問したのだが、非常に心に残る機会となった。
施設自体も素晴らしいが、様々な意味で良いホテルに宿泊できたものだ。感謝。 (つづく



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