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さなぶりドライブ2015・・・六十里越峠で只見へ [2015旅行]

[ BGM → Electric Light Orchestra - Last Train to London

喜々嬉々 秘境様相 絶景なるかな。

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帰省していた1号が東京へ戻るので新潟駅までクルマで送り、
その後はメガ書店で立ち読みしようと考えていたが、
突然にお袋が「オラも見送りに行く~」とのこと。
9時過ぎの新幹線を見送っても店も開いていないので、
では、お袋は苦にしないドライブを延々することにし、
18時まで帰宅できそうなルートを即座に決定だ。

秘境浪漫を求めて福島県の只見川沿いを攻めることに!

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まずは入口の堀之内ICを目指して関越自動車道を怪走だ。
昨年の同地域の訪問を思い出す。
 → 視察2014・・・6月 魚沼市S氏
 → オレの寺! 永林寺
 → オレの寺! 西福寺

さて一般道へ下りてR252で六十里越峠を目指す。
我が町とさほど変わらぬ田舎道を、
地元のモミジマークの軽トラに率いられてチンタラと。

六十里越峠は新潟県と福島県の県境であり、
およそ六里(24km)が非常に辛い難所中の難所ゆえに、
それは10倍にも感じることから六十里越という。
ちなみにその北側にも同じように八十里越峠があり、
如何に厳しい環境であるかが容易に想像できる。

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さて、この魚沼市はまさしくコシヒカリの産地ゆえに、
何となく田んぼの様子が気になったりする。
棚田の連続は法面の草刈りが大変そうだ・・・(^0^;)

またこの道は、かつて戦国時代に、
上杉家が越後春日山から会津若松へ移封された際に通ったはずの歴史の道。
上杉景勝と直江兼続主従も歩き見た景色を今、私も (>o<)クウッ

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そのR252は「六十里越雪わり街道」といい秘境浪漫の香りがプンプンだ。
徐々に平地が見えなくなり切り立つ山々が両側に迫る。
道路は狭いしクネクネと曲がっているので緊張Max。

実はこの道は10年以上前に反対方向から走破したのだが、
確かに厳しいという朧気な記憶しかなく、けっこう新鮮だ。


その六十里越峠に関する、大昔に観たNHKスペシャルを思い出す。
併走するJR只見線はかつて会津若松から只見までしか開通しておらず、
東京から只見へ向かうには非常に時間を費やし不便な土地であり、
新潟県側のJR上越線の小出(魚沼市)から只見までの開通が望まれていた。
そこに立ちはだかったのが難所の六十里越峠であり、
その古来からのつづら折りの峠道の空撮映像は未だに鮮明に覚えている。
(よほど強烈に印象に残っているようだ・・・凄い!と (@@;) )
番組はその六十里越峠を、
長いトンネルで開通した只見線を喜ぶ内容だったと思う。
これで東京からは上越線廻りで比較して早く往来できると。

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そんなこんなを思い出しながらつづら折りの、
かつコンクリートのスノーシェードの連続の峠道を上る。
ほとんど対向車は無く、もの好きな母子の独壇場!
頂上付近の狭い六十里越トンネルで県境を越えて福島県へ。

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やがてダム湖を見下ろす絶景が広がり軽く感動だ (^^)♪
傍らの記念碑には、
「会越の窓 開く 六十里越峠開道記念碑
 昭和48年9月 内閣総理大臣 田中角栄」 と。

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画面向こう北側が只見町中心部。

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次の画面向こう南側は奥只見、尾瀬方面で、
奥只見といえば小説・映画 『ホワイトアウト』 の舞台だ。

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と私は嬉々と感動しているが、
母親は道端の山ふきが気になっているようで、
「鎌持ってくれば良かったなぁ~」などと訳が判らん (ノД`)

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しばらく進むと近年廃止となった秘境駅 田子倉駅だ。

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箱型駅舎の下がスノーシェードになっていて、
階段で下りてのホームは冒険ムードが漂うかも。
廃駅は残念だが時の流れですなぁ・・・(-_-)

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さて次はダム湖100選の田子倉ダムだ。
青い空とエメラルドグリーンの湖面が美しく心を和ませる。

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眼下の発電所と遠く続くは只見ダムだ。

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一際目を引く三角形の山が!

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ダム湖は遊覧船もありシーズンには賑わいそうだ。

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この時期、平日でブラブラしているのは御年輩ばかり。
仲間に囲まれてお袋もご満悦であったかな?(^_-)

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湖畔沿いにしばらく下ると只見ダムだ。

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堤防は低く小さい。

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続いて只見町中心部を抜けたところで、
只見線がカーブで立体交錯する橋梁が目を引く。
この立体な中空雰囲気で写真を撮ってみたい!(*^_^*)
・・・と今は不可なのでリンクを。
 → 只見線 H16冬(3)

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と鉄道写真浪漫に浸る間もなく、
ここから西側へは新潟県三条市へ抜ける八十里越峠の分岐点だ。


R289は現在もクルマでは未通で、
工事が続く難所中の難所で有名かも。
 → 国道289号八十里越 再評価資料 - 国土交通省 (PDF)
 → 一般国道289号(八十里越)県境貫通しました。

かつて戊辰戦争北越戦争に敗れた河井継之助が、
会津へ落ち延びる際に越えたことでも有名だ。
まずは古道を攻める猛者のレポートで雰囲気を!
 → 国道289号 点線国道八十里越 [前編] 0

そんな歴史浪漫、アウトな冒険気分、
そんな難所を克服する現代工事の様子で、
以前から非常に気になっている地域だったりする (`ε´)

ちょうど三条市側からはこんな企画もあり、
ちょっと食指が動くかも。
参加する気になれば行きそうな自分が怖い (^_-)
 → 国道289号八十里越(三条市ホームページ)
 → 秘境八十里越体感バス

Google Earth での只見町側から三条市側への、
西側俯瞰の県境付近で、左奥の高い山が守門岳(1537m)。
右奥が三条、燕市街、弥彦山、日本海だ。

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話はR252ドライブに戻る。
八十里越峠分岐点を過ぎると、左側に綺麗な三角錐の山があり、
それが会津のマッターホルンと形容される蒲生岳だ。
先ほど田子倉ダムからも臨めた山で、
さほど標高差の無い、
その勇姿に登坂意欲をかき立てられるかも (^^)

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さらに続いて現れるは河井継之助記念館
以前訪問したよりもパワーアップしたようなので、
ぜひ訪館したかったが、お袋は全く興味ナッシン (T^T) なので、
泣く泣く (ToT);;; 無情にクルマは通り過ぎるのみ。

そんな下り坂気分を切り替えて、
ローカル鉄道の横綱とも名高い只見線の景色を愉しむとする。

奥会津・只見線フォトギャラリー


ところが只見駅と会津川口駅は現在も不通だ。

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2011年7月末の大雨、洪水により、
無残に鉄橋は流され破壊されたままだ。
 → 伊南川、只見川流域の大洪水 (漆器もある生活)

その痛々しい鉄橋は通りすがら確認できるので、
立ち止まりじっくりと見てみようと思ったが、
帰宅時間を気にしつつだったので泣く泣く (>o<) 通過だ。
次の黄色丸地点は軽く脇見運転でも判りやすい。

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そんなこの区間の復旧は工事費用が莫大なようで、
代行バスのまま線路は廃止の見込みが強いらしい。
 → 只見線の会津川口-只見間は廃止?
 → 只見線の現状
 → 只見線時刻表(代行バス含む) H270314_.pdf(33KB)

もし廃線となれば、地元の方々の足として残念であるが、
いち鉄道ファンとしても惜しい思いだ。

まずは開通区間を横目に山河美を愉しみながら進むと、
この世界では有名すぎる三島町の、
会津桧原駅と会津西方駅間の定番撮影地へと至る。

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みんな、たぶん雑誌やTVで見たことがあると思われる絶景が・・・。
(年中何れも圧巻でオレは冬→春→秋→夏の順かな)

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R252の 道の駅 尾瀬街道みしま宿 から山を上るが、
多くの鉄道ファンの足跡により獣道が出来ているらしい。

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さらに進むと柳津町へ至り、
数年前に訪問した圓蔵寺が懐かしい。
 → オレの寺!・・・福満虚空蔵尊 圓藏寺
 → 福満虚空藏菩薩圓藏寺 (会津六詣)

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さて至ったR49を越えて北方の旧山都町(現喜多方市)から、
例の林道を越えて山形県へ至れれば面白だったが、
開通直後の土砂災害により、
それは僅か1ヶ月半のみの開通という幻の道となっている・・・(ノД`)
 → 飯豊町中津川-喜多方市山都の林道を通ってみた

そこでR49を東進し、会津坂下町の中心街=会津盆地へ出るが、
ここまでの長かった道中から、
なぜかこの辺で「帰って来た=いつもの行動圏」と安心してしまうは錯覚か。
まだ地元まで100kmはあるのに (^_-)

まずは喜多方市のヨークベニマルで休憩がてら買い出しをし、
R121を爆走で大峠を越えて山形県へ帰還、
川西町の玉庭地区を通過し、18時前に無事に帰宅したのであった。
長かった・・・(^0^;)

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旅の記録、思い出まとめのつもりだが、
沿線の観光協会のような記事内容に微笑 (^^;)

まったく好きだなぁ~♪


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