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慌ただしい年末年始 [-2013ひとりごと]

これから4日間は慌ただしいかも。

本日12/31の予定は、
朝の9時から地元地区の公民館で、
障子の張り替えと翌日の新年会の準備を2時間強。
次に12時30分より夜の呑み食いの買出しを1時間弱。
そして15時より実家地区の稲荷神社への参拝道の道付け=雪踏みに約30分だ。
これら前後に除雪だったり雑用、家事だったりする。
それで夜の呑み食いでさらに疲れて年越しだが、
翌朝の牛舎仕事も思うと、以前のように気楽には居られないのも事実だ。

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これでも雪の降らない地域ならば随分と気は楽なのだろうが。
些細なクルマ利用についても、いちいち除雪や駐車場確保に煩わされるので。
それで人もモノも濡れるし (×_×)

(いつものように愚痴って、話も湿っているのう~ (^^;) )

ここはタダでさえ湿った重い雪が特徴な地域だが、
この数日は日中の気温が高く、朝の新雪が融けて重くなり、除雪作業は大変だ。
ある柿の木は湿雪の重さに耐えきれず枝が折れてしまった。

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本日は町内で2軒ほど葬式がある。
大晦日で慌ただしいことだが、人の世に在れば致し方ないこと、
と外野は呑気に思うが、やはり当事者の皆さまはお疲れさまです <(_ _)>


まずは・・・みなさま、良いお年を (^^)/


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1年を振り返る2013 [-2013ひとりごと]

昨年同様にFacebookのアプリで1年をまとめてみた。
(このアプリの使用にはご注意!

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仕事に関しては、特にどうのこうも無い。
生きるために収入を得る手段として割り切り、仕事が辛いのは当たり前とも思う。
そんな中で何を思うかだが・・・。

しかし仕事合間には相変わらず、飯豊山と米坂線撮影に終始したが、
このペースは死ぬまで続くことであろう (^^)

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そこで今年から4号がサッカースポ少へ入団したこともアクセントだ。
ほとんどの週末に送迎で追いかけるが当たり前の時代なので、
カレンダー休日など関係無い農作業に如何に折り合いをつけるか。
まずはあと8年は続く予定だが、それも愉しみのひとつ (^^;)
  → 4号のデビュー戦・・・第1回東根スプリングカップ2013

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趣味=愉しみのひとつの旅行も今年は3つも大きな旅が出来た。

3月の、私も初めてのディズニーシー、東京スカイツリーは、
チビたちを首都圏へ連れて行けて良かったかも。
  → 東京旅行2013(1) 東京ディズニーランド

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8月にはチビたちを草加市の1号のところへ連れて行くついでに便乗し、
ひとり琵琶湖まで各駅列車を乗り継いで城巡り等を堪能した暑く熱い日よ。
  → 青春18きっぷの旅2013(1) 小国→草加

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そして12月には悲願のマダム一家と上州と信州の真田氏を巡る旅を!
  → 真田氏の史跡を歩く(1) 沼田→鳥居峠

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まったく盆と正月が一気に到来したかのような、
大小様々な旅(何でも旅にしてしまうとも云えるが)に明け暮れた年だったかも。

ゆえに来年も日々の仕事に勤しまねば (^^)

あとは自己実現のひとつとして健康維持も兼ねたランニングも印象深い。
この歳で、こんな仕事状況で、あのキツいコースで自己ベスト肉薄とは。
  → 越後湯沢秋桜ハーフマラソン大会2013(1) 決戦の秋

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語り出せば、もっとアレコレと収拾がつかなくなろうが、
まずは家族平穏無事なことが最もありがたいことである。感謝 <(_ _)>

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南三陸町にて(2) [-2013ひとりごと]

実は前夜のホテル売店にて本書を見つけたのだが、
重そうな内容に、つい目を背けていた。

しかし、その企画でバスを降りた時は全く気持ちは異なり、
ホテルのフロントへ預けた荷物受取りの際に、
再び売店へ猪突猛進して迷うことなく購入した。

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先ほど見たこと、聞いたことは、本書にてさらに理解が深まり、
本質へ迫れて消化するものと思ったのだ。

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冒頭からいきなり後頭部に衝撃を受けたような内容だ。

家族全員が無事で家屋等も失わずに済んだ人たちが、
その後逆に住みにくくなり、ふるさとを離れるとは、想像もしていなかったからだ。

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そんなエピソードが、文章2ページ、次に写真2ページの対となっているので、
イメージが掴み易く理解も早く、ページも進めやすい。

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バスでも説明を受けた戸倉小学校のことも。

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様々に衝撃を受け、自然と涙が溢れる内容が続くが、
一番グッ、ときたエピソードは次だ。

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私もこんな人になりたい。


南三陸日記

南三陸日記

  • 作者: 三浦英之
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/03/30
  • メディア: 単行本


忘年会という懇親も有意義であったが、この地を訪問したことが今も心に多くを占める。
語り部バスの趣旨を考える。
「震災を風化させない=見て・・・聞いて・・・感じて・・・そして伝えてほしい」
言葉通りの現在の被災地の様子を伝えるはもちろんで、
さらに出来ることは復興のためにお金を出すことだ。
しかしそのお金がアレコレと理由をつけて九州はもちろん、
東京等で使われることには抵抗がある。
優先順位があるだろう!
・・・今も日々の生活に苦しむ被災地と人々に届くことを祈る。

さらに実は、語り部バスの趣旨の本質は深く違うところにあるとも感じる。
自分の大事なことや価値観を照らし合わせて考えてみる。
するとそれは・・・。

そしてその感じたことを、
その後のアクション=自分の生活に落とし込むことが大事だ。
それは・・・。


秘密だ (^_-)☆


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南三陸町にて(1) [-2013ひとりごと]

先に、とある忘年会へ参加してきた。
宿泊先は宮城県南三陸町(旧志津川町)の南三陸ホテル観洋だ。
  → 南三陸ホテル観洋 公式ホームページ

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以前より有名な大型温泉ホテルでその名は知っていたし、
約20年以上前に仙台市より気仙沼市や大船渡市へ行く際に、
R45にて数回通過したことを覚えている地域でもある。
今回はその時以来の訪問だ。


前日は暗く、かつ大雪であった中でのチェックインのため周囲の様子は判らずじまい。
この時期の太平洋側での、あの雪の量は異常気象かも。

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ホテル自体は志津川湾に面し、館内各所より素晴らしい眺望が得られる。

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その北側に目を移すと・・・

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町の中心部が望める。
この町も2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を被った場所のひとつだ。

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当時の映像はYouTubeで見ることが出来る。
【注意】 地震・津波の衝撃的な映像、叫び声などが含まれています。
精神的ストレスを感じる方は­閲覧をお控えください。
  → 南三陸町志津川高校から見た津波の様子(完全版)
  → 【個人撮影】南三陸町津波【東日本大震災】【東北地方太平洋沖地震】【転載】

そんな地域なので翌朝ホテルの、とある企画へ参加してきた。
宿泊者限定の「震災を風化させないための語り部バス
料金 : 大人(中学生以上)500円 子供250円   所要時間 : 約60分

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コースは最初にホテルを南へ進み同町内戸倉地区を折り返し、
再びホテル前を通過して北通し、かつて中心部であった地域を通り、
小山部へ至り再び中心部へ進み、ホテルへ戻る約1時間の道中だ。

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本人も家を失った等を体験しているホテル職員さんがガイドを務める。

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最初に戸倉小学校跡。

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日頃の訓練どおり直ぐ裏の高台へ避難し幸いに全校生徒は難を逃れた。
しかし当日は降りしきる雪の中、低学年児童はお堂に待避し、
高学年児童は周囲から薪を集め焚き火で暖を取り、
歌を歌って気を紛らわして、その夜をしのいだとのことだ。

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バスの中では小さいすすり泣きが聞こえ始める。

当時の写真。
目の前で起こる津波の様子に、幼い子供たちの心は如何に恐怖したことか。

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次は北へ移動するが、平行して走るJR気仙沼線は列車運行を止めて、
レールを撤去し舗装してバス(BRT:バス高速輸送システム)を運行させている。
  → 気仙沼線、8月にBRT一部開業 - 鉄道コム

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ほとんど更地の、かつて町内の中心地域を通り過ぎて小山部へ。
役場や消防署などの行政中枢が集まる場所だが、全て仮設らしい。
そして仮設住宅も行く先々に確認できる。
いままだ被災の爪痕に苦しむ町の様子は容易に想像される。

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再び志津川湾へ降りてくると、遠くにホテル観洋が見える。
当時ホテルは幸いに被災せず、その後の対策本部等が置かれ、
救援物資を保管するなど、地域活動に大きな役割を果たした。

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再開した魚市場の脇を通り再び中心部へ。

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TVでも幾度も目にした、鉄骨の残った防災対策庁舎へ。

バスへ乗り込んでガイドさんより最初に受けた注意の中のひとつ、
どうか記念撮影はご遠慮下さい」が繰り返し語られる。

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当時、職員や関係者は約50人がいたが、最終的に屋上へ避難した人の中で、
生き残ったのはわずかに10人とのことだ。

次は職員自身も津波にのみ込まれる瞬間まで、
そこで写真撮影を続けた、まさに「命がけの1枚」だ。(幸いにその職員は存命)

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この建物の高さが津波で襲われたと思うと身震いする。

同様にTVで見た、ここは女性職員の必死の避難呼び掛けが行われた場所でもある。
【注意】 地震・津波の衝撃的な映像、叫び声などが含まれています。
精神的ストレスを感じる方は­閲覧をお控えください。
  →  “ 高台に逃げて ” 命の呼びかけ 南三陸町一万の命を救った一人の女性

女性職員は後日遺体で発見されたが、
同じく呼び掛け続けた男性職員は未だ行方不明のままだ。

その彼らと、他の多くの方々のご冥福を祈り手を合わせる。

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この防災対策庁舎は、「後世へ語り継ぐために残すべきだ」という意見と、
目にするとあの時の様子が思い起こされて辛いので撤去すべきだ
という意見に二分され、町議会では撤去することと決議されたらしいが、
その後も様々な諸事情があるらしく現在は据え置きらしい。

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私は静かに見守るのみだ。

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このように当地を個人でもクルマ等でただ巡ることはできるが、
やはり被災地の、ご自身の体験も含めた案内、説明は重く心に迫るものがある。
被災地の悲しみを僅かでも共有できたような神妙な気持ちと、
自然と自分の日頃の生き方、在り方等を問う気持ちが去来する。

・・・良い機会に出会えたものと感謝する。

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そんな様々な想いに胸は満たされて、やがてホテルに到着し終了だ。
ではバスを降りようかと思った時に、些細なことだが気になったことが。

前席の人から順序よく静かに降りれば、と思っていたのだが、
とたんに後ろ席から勢いよく歩き出す人がいて、前の席の人が立とうをするのを妨げる。
前席には御年輩も多く、中には足の不自由そうな方の姿も見受けられる。
ゆえに後ろから勢いよく歩き出しても直ぐに降りて行けない。
そんな後ろ席の人々が次々と立ち上がり歩き続き行列を為している。
今は1分を惜しむような状況ではあるまいに、なぜに人をかき分ける?
確かに成文化しているわけでもなく、誰に言われるもないが、
何となく、スムーズな順番等のルール、譲り合う等のマナーがあるのではないか?

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たった今見てきてきた被災地の様子から何を感じたのであろう。
たぶんあの人たちは、いつもの観光気分と何ら変わらないのかもしれない。
この企画の趣旨をどう捉えるのか?
見て・・・聞いて・・・感じて・・・そして伝えてほしい

何だかなぁ・・・神妙な気持ちが打ち砕かれたのは私だけであろうか・・・。

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何はともかく、人のことはさておき・・・
今回はこのような機会は全く思いもよらずに、
ただの宿泊先として訪問したのだが、非常に心に残る機会となった。
施設自体も素晴らしいが、様々な意味で良いホテルに宿泊できたものだ。感謝。 (つづく



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ボクが最近凄くガッカリしたこと [-2013ひとりごと]

2週間前ほどにスカパーのリモコンが無いことに気付いた。
受信機本体に操作機能は無く、リモコンで操作前提なので紛失しては困る。

いつもアニメを観ているチビたちに確認すると「知らない」と言う。
普段からやるべきことをやらずにスカパーやビデオばかり観ていることに、
快く思っていなかった私はそこで・・・プッツン!

 「あのな! いつも観ているだろ?
  使った後に元に置くべきところに置かないから無くなるんだぞ!
  いつから無くなったんだ? まったくお前たちは!」

聞くと1号が東京に戻った辺りから見かけないという。
ということは1週間ほど放置されていたわけで、
とにかくみんなでリモコンを探すことにする (`ε´)

玩具押入れなど、どこに紛れ込んだか探すのが大変で、
チビたちにもウダウダと説教をしながら1時間ほどするが見つからない。
諦めて止めても、さらに文句はチンタラと止まらない (--#)

毎週愉しみにしている『項羽と劉邦』は、
仕様上その都度録画予約しなければイケないので非常に焦る (~_~;)
そのためにWOWOWを再契約したのに!

ところが、その後2時間ほど経ったところで、ふと閃いた。

 「あ、そういえば・・・、
  あまりアニメばかり観ているので、私がリモコンを隠したんだっけ!」

・・・ガクッ、① 見事に忘れていた(ノД`)

チビたちにガミガミと説教と文句を垂れて、申し訳ない後悔がチラリ・・・(T_T)

そこでチビたちが居ない日中等にリモコンを探すが・・・、
なんと! なかなか見つからない!
私はどこに隠したのだ!?
・・・ガクッ、② 自分で隠したのに思い出せない (ノД`)

それから仕事の傍ら、夜のラントレ中にも、記憶をたどり、
『項羽と劉邦』の再放送も翌々日に迫ったタイムリミット=
=ある日の昼休みに、隠して2週間、探し始めて1週間でようやくご対面。

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自分で隠して、自分で見つけられない、
というか、そのこと自体をしっかりと忘れている (ノД`)(ノД`)(ノД`)

痴呆の始まりか?
最近は大事な仕事関係でも思い当たることが多いかも。
とにかく、象徴的なこのリモコン事件では凄くガッカリした (ノД`)

忘れることの恐怖 に心底襲われている今日この頃だ (ToT);;;




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ブログ名を変更します [-2013ひとりごと]

突然ですがブログ名を変更します。

旧:「脱サラオヤジの農家日記」  →  新:「山形おぐにの百姓生活」

あの日いつものように自己紹介をしたとき、
「脱サラして4年となりますが・・・(あ、もう4年も経ったんだ・・・)」
と自分の言葉に違和感を感じ、以降ずっと考えていた。

“ 脱サラ ” という表現はいわば初心者マークのようなもので、
せいぜい3年という感じであろう。
農業に向き合えば向き合うほど全く未熟者を実感する日々は相変わらずで、
初心者マークである意識は変わらない。
しかし、どこか心の奥隅にそれを “ 甘え ” にしているような部分も無きにしも非ずなので、
それらが違和感なれば心機一転する機運が再び自分に沸き起こっている。

そのひとつとして、まずはブログ名を変更しようと思う。
(自分に何かがあると、ブログ変更を繰り返しているこの数年のパターン。
 新規にURL変更はいろいろ不都合なのでタイトルのみ変更する)

しかし根底には常に初心者らしい進取な姿勢で臨みたいし、
いつまでもチャレンジャーでも有り続けたい。
それはディズニーランドのダンサー達のように「毎日が初演」という意識のようなものだ。
また、“ 山形おぐに ” と言い切る適度なプレッシャーを自分に与え邁進いたしまする。

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年相応に少しづつ深化する記事を書きたいとは思っていますが・・・(汗)


【お願い】
このブログを自身のブログやHPにリンクして下さっている皆様は、
お手数ですが名前の変更をお願いします <(_ _)>


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わらびアレコレ [-2013ひとりごと]

暦は暑い夏を連想させるが季節感は春も続いているような今日この頃。
それは春に旺盛な野山の食べものにまだまだ恵まれているので。

先日夕方も軽トラで町内をぶっ飛ばしているところで、
ぶらぶらと歩く師匠の姿を見かけたので立ち話をした際に、
たった今採ってきたわらびをお裾分けで頂いた。

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「これはよ~ ぬめりが凄いからバッキンバッキンだぜぇ~」 
まったく真面目厳しいくせに冗談もキレキレな相変わらずの節だ。
まずは、さっそく美味しくいただき・・・ごちそうさまでした <(_ _)>

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ところで、ここ数日の仕事中に3回ほど他県ナンバーのクルマの人に、
 「○▲地区のわらび園にはどう行けば良いのか?」
 「※◇地区のわらび園に行ったのだが、開園していないとはどういうことなのか?」
などと質問を受けたが、地元地区ではないので判らないと返答した。

帰宅後にネットで調べてみたら一応HPがあり、必要情報は記載されている。
  → 小国町観光わらび園
事前にここで調べてから来訪すればよいのにネ。
しかし案内地図はイマイチ・・・マップが拡大できないことと、肝心の園周辺の案内図が無い。
大袈裟なアクセス情報よりも、最後の1km、500mの案内が重要なのでは?
そもそも小国町の場所が判らない人が樽口地区などにたどり着けるわけがないので。


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80歳の快挙にて [-2013ひとりごと]

昨日、80歳の三浦雄一郎が世界最高齢でのエベレスト登頂の快挙を果たした!
   → MIURA EVEREST 2013

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その熱意と実行力は、まさに生涯現役だ!
常人離れした体力は、その歳以前よりの精進の賜なのだろうし、
それが伴ってこその精神力とも思える。
また、同じく必要と思われる、
子どものようなドキドキ、わくわく感などの好奇心も、ず~っと抱いているのだろうか?

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怠惰で凡な私は足下にも及ばないが、
その歳までの折り返し地点を過ぎたばかりなので、
叱咤激励されているようだし、勇気が湧いてくるような気もする。


サラリーマン時代に50歳代後半の方々によく聞かされた、
「(定年が近いので) 俺の人生は、もう終わった。。。」
などとは言ってられないっスよ!(^_-)


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早朝にて [-2013ひとりごと]

脱サラして4年が過ぎたが、今でも時折質問されることがある。

「こんな朝早く眠いべ~ 百姓やんだぐねぇが?」
「日曜日にご苦労さまだなぁ~ 百姓やんだぐねぇが?」

質問した見知らぬ、或いはあまり付き合いの無いお年寄りなどには、
当たり障りなく適当に穏やかに答える。

「まったぐだなぁ~ あはは」

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しかし内心は、

(あのね、朝早起きが嫌だ、日曜日は休みたい、
 などと言っているレベルでは、たかがしれてるでしょ?
 そもそも、農業以外にも朝早い、土日も、深夜も働く職種は多いのに。
 そんな人間では何をやっても通用しないだろうに・・・)

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小国らしい朝靄の中を、
非力なエキゾーストノートを響かせながら今日も軽トラは走る。

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先行きが見えない人生という道を、安全性に乏しい小さなクルマで進むには、
そんな意識では走りきれないでしょうな・・・。


な~んて、つまらぬことを考えながらボケ~っと運転していると、
突然にノソノソと横断するお年寄りが現れたりしてビックリしたりする (~_~;)
あんなに腰が曲がっても畑仕事に勤しむ姿には感じるものがあるかも。


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ああ、望郷の小国音頭 [-2013ひとりごと]

町外に住む出身のみなさま・・・これで望郷の念に駆られ涙を流して下さい (^_-)

  → 小国音頭

この小国音頭は実家近くの蔵王ストアなる怪しい物産屋で年がら年中流れていて、
風下の実家ではノイローゼになるほどに苦しめられたかも (ToT);;;
結婚して家を出るまでの間の、特に外での暮らしぶりの記憶にリンクされている。
その蔵王ストアの最近の経営状況は不明ゆえに時の流れを感じるかも (×_×)

さて、30年前頃は町の夏祭りのイベントのひとつとして、
民謡流しで小国音頭を踊り、中央商店街などを行進したもので、
私も駆り出されて花笠音頭とセットで練習させられたことも懐かしい。

  → 山形花笠まつり 2012.8.5

花笠を持ち「はぁ~やっしょう~まかしょ~(シャンシャンシャン)」とターンをするあたりは、
今でも自然と体が動きそうだ (^^)d

こんなことでも、小国町民、山形県人であることを感じるわけだ。

先日は Queen で今日はコレ=民謡から洋楽ロックまで・・・
・・・感性のダイナミックレンジをさらに広げて脳梗塞を防ぎませう!


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