和牛の祭典in長崎への旅(3) 長崎市内観光そして帰郷 [-2012旅行]
早朝からのこの景色と好天により、山形を出発前はすぐれなかった体調も回復MaxでVIVA長崎。
本日最終日は長崎市内観光と山形への帰郷で、
計画書による市内観光は、まず最初にグラバー園、大浦天主堂、次に移動車窓から眼鏡橋、
そして平和公園となっている、まずは基本のオーソドックスなルートで愉しみだ。
部屋を退散しロビーでみんなの集合を待っていると、会長が来てフロントのオネーさんへ、
「長崎市内の観光ってどこへ行けばいい?」 などと聞いている。
「・・・・・・(T_T) 」 この後に及んで非常に嫌な予感を抱く私であった・・・。
さて、バスは昨日上った激坂を下り始めるが、
雪国では有り得ない道路設計に改めてその狭さと勾配に朝一番から緊張感を抱く。
同行の1名が福岡市に所用があり直ぐに移動したいので、JR長崎駅へ送ることになった。
市内大通りは路面電車が間髪を入れず数多く走っているので、
右折位置、タイミングが難しく、慣れていない運転手も冷や汗だが何とか到着だ。
そのオヤジさんを降ろし見送った後、さて、右折してグラバー園へ向かうのか、と思いきや、
運転手はウインカーをカチカチと左へ・・・
あれ・・・? なんで予定最初のグラバー園へ向かわないの?と疑問を抱いた私は、
「グラバー園には行かないのですか!?」 と前へ声を掛けるが、運転手も会長も無言・・・。
ムムッ、無視? この2日と先ほどのフロントの会長の様子より、
これはこのまま平和公園のみを回り福岡空港まで移動なのか、と残念な気持ちが込み上げる。
各位ご承知のように、私は欲張りで1人ならばエネルギッシュに行けるところまで行く人間なので、
そうそう来ることの出来ぬ九州での貴重な機会なれば、といつもの1人行動全開モードであるが、
素直に案内されたところを皆と愉しもう、とみんなと和モードへ気持ちを切替えてシフトチェンジ。
マイナスへエネルギーを使うことは損だもんね (^_^)v
約10分走り、長崎市平和会館わきの駐車場へバスを駐める。
隣接の長崎原爆資料館を見学する。
被爆時の町の惨状をリアルに再現したセットの凄まじい光景がいきなり目に飛び込み、
膨大な遺品、写真などの展示に胸が痛む。
地形模型とモニターにより被爆位置、経過を解りやすく再現している。
その時間11時2分(1945年8月9日午前)で止まっている柱時計など。
投下された長崎型原爆(プルトニウム型:ファットマン)の実物大模型。
その他様々な資料の中、最も辛く感じたのは、やはり被災した人々のむごたらしい写真だ。
燃え尽きて骨だけ、或いは黒焦げ、重度の火傷、子ども、幼い赤ちゃん・・・絶句だ。
YouTubeに展示と同じ、また似たような写真がアップされている。
私は、現実として同じ日本で起きたことを知るべきだと思うし、
日本人として忘れてはならぬ後世へ語り継ぐ義務があると思うので勇気を持って直視する。
(以下にリンクを入れるが、気分が悪くなるかもしれない方は遠慮した方がよいかもしれない。)
→ 広島・長崎、米国による無差別大量爆殺兵器、原子爆弾の脅威
朝一番から気持ちが重くなる。
戦争云々に対する考えに及ぶと、今回は靖国神社参拝とは異なる気持ちを抱く。
「無抵抗な多くの民間人へ何ということをしてくれたんだ!」 と怒りしか沸き起こらない。
そして同時に憎しみも。憎しみは憎しみしか生まぬが、それがその時の正直な気持ちであった。
そんな思いを胸に隠し、隣接する公園=原爆落下中心地へ行く。
あの日、この上空約500mでB29が落下した原子爆弾は炸裂したのだ。
先日、先々日に続き、先客は韓国観光者の御一行だが、彼らは何を感じたものか・・・。
その片隅には護岸工事で発見された被爆当時の地層が残されているが、
そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、
約3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没している。
さらに隣接する小高い丘の平和公園へ歩みを進めると平和のシンボル、平和祈念像が出迎えだ。
天高く指す右手は原爆の脅威を表わし、水平にのばした左手は世界の平和を表わし、
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。
そして平和の泉。
水を求めながら亡くなった被爆者への祈りと、恒久平和を祈願するためにつくられたものだ。
その石碑には以下のように刻まれていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
---------- あの日のある少女の手記より
非常に切ない気持ちになり、あたらめて合掌する。
その傍らでは犠牲者の冥福を祈るように綺麗な虹が現れていたことが対照的であった。
このように悲惨な状況を経て今日の日本があり、
現在我々は平和で豊かで幸せな生活を享受していることを感謝しなくてはならないと思う。
・・・と、そんな厳粛な気持ちになり一行を追いかけると、
その日の暑さと歩き疲れからか、みんなは自販機でジュースなどを買っている。
つい先ほど平和の泉を通った直後のことゆえに、何だかなぁ・・・と複雑な気分だ (T_T)
単なる体力不足?=この人たちは本当に肉体労働の農家なのだろうか? などと疑問も・・・。
悲惨で忘却したいほどの辛い歴史だが、現在は観光資源となっていることに皮肉を感じるが、
まずは、この出来事を忘れずにゆくことが犠牲者への供養にもなろうと思う。
原爆資料館では各種書籍、もちろん写真集も販売されていたが、
いつもは、よく記念に書籍等を購入する私だが、その日はどうしても購入する気になれなかった。
次の写真集があったが、帰郷後の自宅PCのAmazonでも購入可能な便利な世の中なので、
日本人として語り継ぐべく、我が家の書棚にもポチッ、とな。
さて、この後の予定であるが、
平和祈念像の前で自称観光案内ボランティアというオジさんがさりげなく近寄ってきて、
特に予定が無いのならば、クルマで観光地へ先導するので付いてこい、と言う。
しかし話を聞き進めてゆくと、どうも胡散臭い。
「バスから直ぐ降りて見られる眼鏡橋へ行く方がイイ。その後は帰路の高速道も近いから」
「お土産はカステラがイイが、ちょうど眼鏡橋前に匠寛堂という有名店があり美味いよ」
「グラバー園や大浦天主堂など遠いから行かない方がイイ」
「匠寛堂のカステラが1番美味い。他は不味いものばかりだ」
などなど、他を排他否定する言い草と、
どうしても眼鏡橋の匠寛堂へ連れて行きたい意志が見え見えなので、我らは気付く。
ああ、そのカステラ店の回し者で、観光案内など二の次なのだと :-)
ま、太っ腹の我らは、それも旅の思い出として、いっちょ乗ってやろうと決定しオジさんに続く。
そして市内を走ること約10分で多くの石橋が連なる中島川の眼鏡橋前に到着し、
お土産を求める人は、そのカステラ店匠寛堂へ行く。
何でも毎年皇室へ献上する立派な店らしいが、
こんな姑息な手段で売り上げを伸ばす店を私は軽蔑する。もっと正々堂々と勝負しろ!
・・・でも一応試食はする。美味い。でも買わん。あばよ!
“ 団子よりも花 ” の私は、それよりも石橋群の風情の方が気になる。
これが眼鏡橋。
ひとり旅ならば思う存分ゆっくりと歩いて巡りたいものだが、
今回は時間も限られているので、他の石橋も眺めるべく両岸を早足で駆け抜ける健脚な私だ。
周囲のお寺も、その裏の坂本龍馬の銅像、亀山社中記念館なども垂涎の地なのだが・・・。
その後は消えたオジさんをよそに、さほど遠くないグラバー園方面へ向かうことにする。
遠くて無理、などといい加減なことを言いやがって、あのオヤジ (-_- # )
まずは結局グラバー園と大浦天主堂へ行くことになり、早朝の消化不良も消えて心躍る私だ。
ふと隣を走るバスの行き先=“ 女の都団地 ” なる地名に軽く反応する私 (^^)v
“ グラバー園へはここを左折 ” という大きな看板を無視してナビに従いバスは行く=大いに不安。
案の定、狭い急坂へ入り、道を間違えて無理に切り返しして、さらに激坂を上ることしばし・・・。
何とグラバー園の出口に来てしまったらしく、駐車中の観光タクシーのオッちゃんに、
「ここにこんな大きなバスで来てはダメだよ! 向こうの下に置いてきな!」 と注意を受ける。
またしても狭い場所で無理に切り返して先ほどの激坂を下るべく右折を試みるが、
車体は大きく右へ傾き非常に怖い! 対向車もドンドン来るしでモタつくことが異様に長く感じる。
・・・運転手さんの苦労も判るし、みんなと同様に私も、もうお腹いっぱい・・・(T_T)
ここから駐車場を探し移動するのも大変そうだし、結局このまま長崎市内を退散することに決定。
隣接する国宝 大浦天主堂の拝観も非常に惜しいが、
今回の観光は行き当たりばったり旅なので、こんな展開も受け入れますか (^^;)
あまりに呆気ない幕切れだが、何だかんだ云っても愉しかったしな (^^)d
さらば長崎市内! またいつの日か (^^)/
さて大村湾沿いの長崎自動車道のPA、SAでも名残惜しいかな長崎。
ここでも、これでもか!という遠い異国の地の、ご当地名物のラッシュに敢えなく陥落し、
名残惜しむように角煮まんじゅうと長崎チャンポンを愉しむ至福の時・・・(^^)d
しかし県内どこでも、和牛能力共進会へやってきた多くの各県の方々の姿を目にした。
何れも帽子やジャンバーを誇らしげに着用しており、特に御年配が多いようだが、
その仲間同士で話す方言言葉がまた解らない。
このSAでは宮崎軍団だが、昨夜のホテルロビーの島根軍団も外国人かと勘違いしてしまった。
まぁ、所変われば私の両親も同じだがね (^^)~♪
初日は小雨で煙り視界不良の佐賀市内の様子も今日は好く見える。
このように高速道移動時も車窓景色と頭の中の地図を重ね合わせることが好きな私だ。
太宰府近くに至れば、太宰府八幡宮は、あの辺りか?などと忙しいのだ。
やがて福岡空港へ到着し、長崎駅で別れたオヤジさんとも合流し、
17時30分出発までの2時間半を空港内でブラブラして過ごす。
展望所へ行くと先客は “ 飛騨牛 ” さん。
まさに5年に1度の和牛関係者の一大イベントであったことが、ここでも実感できるかも。
私たちが利用するFDA便も到着している。
周囲の作業のようす、特殊車両、施設、設備の数々などを、ただ眺めていても飽きないが、
何よりも作業員のキビキビした動作、作業が傍目にはすこぶる気持ちが好い。
このようなことから飛行機の安全が確保されるので、我々も安心して空の旅を愉しめるのだ。
軽く飲み食いした後に予定通りに福岡空港を飛び立つ。約100分ほどのフライトはあっと云う間だ。
新潟空港で会長のあいさつにより締めとする。
本目的の和牛能力共進会への陣中見舞い、応援は、
同じ置賜地域の和牛農家の仲間として共有できて有意義であったし、
観光に関しても、珍道中が旅をいっそうと彩り忘れられぬ思い出ともなり、
充実した時間を過ごすことが出来た。
全ての関係各位に感謝申し上げる m(_ _)m (終了)
PS. 番外編もよろしく m(_ _)m → 長崎美味いもん道中
本日最終日は長崎市内観光と山形への帰郷で、
計画書による市内観光は、まず最初にグラバー園、大浦天主堂、次に移動車窓から眼鏡橋、
そして平和公園となっている、まずは基本のオーソドックスなルートで愉しみだ。
部屋を退散しロビーでみんなの集合を待っていると、会長が来てフロントのオネーさんへ、
「長崎市内の観光ってどこへ行けばいい?」 などと聞いている。
「・・・・・・(T_T) 」 この後に及んで非常に嫌な予感を抱く私であった・・・。
さて、バスは昨日上った激坂を下り始めるが、
雪国では有り得ない道路設計に改めてその狭さと勾配に朝一番から緊張感を抱く。
同行の1名が福岡市に所用があり直ぐに移動したいので、JR長崎駅へ送ることになった。
市内大通りは路面電車が間髪を入れず数多く走っているので、
右折位置、タイミングが難しく、慣れていない運転手も冷や汗だが何とか到着だ。
そのオヤジさんを降ろし見送った後、さて、右折してグラバー園へ向かうのか、と思いきや、
運転手はウインカーをカチカチと左へ・・・
あれ・・・? なんで予定最初のグラバー園へ向かわないの?と疑問を抱いた私は、
「グラバー園には行かないのですか!?」 と前へ声を掛けるが、運転手も会長も無言・・・。
ムムッ、無視? この2日と先ほどのフロントの会長の様子より、
これはこのまま平和公園のみを回り福岡空港まで移動なのか、と残念な気持ちが込み上げる。
各位ご承知のように、私は欲張りで1人ならばエネルギッシュに行けるところまで行く人間なので、
そうそう来ることの出来ぬ九州での貴重な機会なれば、といつもの1人行動全開モードであるが、
素直に案内されたところを皆と愉しもう、とみんなと和モードへ気持ちを切替えてシフトチェンジ。
マイナスへエネルギーを使うことは損だもんね (^_^)v
約10分走り、長崎市平和会館わきの駐車場へバスを駐める。
隣接の長崎原爆資料館を見学する。
被爆時の町の惨状をリアルに再現したセットの凄まじい光景がいきなり目に飛び込み、
膨大な遺品、写真などの展示に胸が痛む。
地形模型とモニターにより被爆位置、経過を解りやすく再現している。
その時間11時2分(1945年8月9日午前)で止まっている柱時計など。
投下された長崎型原爆(プルトニウム型:ファットマン)の実物大模型。
その他様々な資料の中、最も辛く感じたのは、やはり被災した人々のむごたらしい写真だ。
燃え尽きて骨だけ、或いは黒焦げ、重度の火傷、子ども、幼い赤ちゃん・・・絶句だ。
YouTubeに展示と同じ、また似たような写真がアップされている。
私は、現実として同じ日本で起きたことを知るべきだと思うし、
日本人として忘れてはならぬ後世へ語り継ぐ義務があると思うので勇気を持って直視する。
(以下にリンクを入れるが、気分が悪くなるかもしれない方は遠慮した方がよいかもしれない。)
→ 広島・長崎、米国による無差別大量爆殺兵器、原子爆弾の脅威
朝一番から気持ちが重くなる。
戦争云々に対する考えに及ぶと、今回は靖国神社参拝とは異なる気持ちを抱く。
「無抵抗な多くの民間人へ何ということをしてくれたんだ!」 と怒りしか沸き起こらない。
そして同時に憎しみも。憎しみは憎しみしか生まぬが、それがその時の正直な気持ちであった。
そんな思いを胸に隠し、隣接する公園=原爆落下中心地へ行く。
あの日、この上空約500mでB29が落下した原子爆弾は炸裂したのだ。
先日、先々日に続き、先客は韓国観光者の御一行だが、彼らは何を感じたものか・・・。
その片隅には護岸工事で発見された被爆当時の地層が残されているが、
そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、
約3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没している。
さらに隣接する小高い丘の平和公園へ歩みを進めると平和のシンボル、平和祈念像が出迎えだ。
天高く指す右手は原爆の脅威を表わし、水平にのばした左手は世界の平和を表わし、
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。
そして平和の泉。
水を求めながら亡くなった被爆者への祈りと、恒久平和を祈願するためにつくられたものだ。
その石碑には以下のように刻まれていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
---------- あの日のある少女の手記より
非常に切ない気持ちになり、あたらめて合掌する。
その傍らでは犠牲者の冥福を祈るように綺麗な虹が現れていたことが対照的であった。
このように悲惨な状況を経て今日の日本があり、
現在我々は平和で豊かで幸せな生活を享受していることを感謝しなくてはならないと思う。
・・・と、そんな厳粛な気持ちになり一行を追いかけると、
その日の暑さと歩き疲れからか、みんなは自販機でジュースなどを買っている。
つい先ほど平和の泉を通った直後のことゆえに、何だかなぁ・・・と複雑な気分だ (T_T)
単なる体力不足?=この人たちは本当に肉体労働の農家なのだろうか? などと疑問も・・・。
悲惨で忘却したいほどの辛い歴史だが、現在は観光資源となっていることに皮肉を感じるが、
まずは、この出来事を忘れずにゆくことが犠牲者への供養にもなろうと思う。
原爆資料館では各種書籍、もちろん写真集も販売されていたが、
いつもは、よく記念に書籍等を購入する私だが、その日はどうしても購入する気になれなかった。
次の写真集があったが、帰郷後の自宅PCのAmazonでも購入可能な便利な世の中なので、
日本人として語り継ぐべく、我が家の書棚にもポチッ、とな。
原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】
- 作者: 清水 博義
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2005/03/18
- メディア: 大型本
さて、この後の予定であるが、
平和祈念像の前で自称観光案内ボランティアというオジさんがさりげなく近寄ってきて、
特に予定が無いのならば、クルマで観光地へ先導するので付いてこい、と言う。
しかし話を聞き進めてゆくと、どうも胡散臭い。
「バスから直ぐ降りて見られる眼鏡橋へ行く方がイイ。その後は帰路の高速道も近いから」
「お土産はカステラがイイが、ちょうど眼鏡橋前に匠寛堂という有名店があり美味いよ」
「グラバー園や大浦天主堂など遠いから行かない方がイイ」
「匠寛堂のカステラが1番美味い。他は不味いものばかりだ」
などなど、他を排他否定する言い草と、
どうしても眼鏡橋の匠寛堂へ連れて行きたい意志が見え見えなので、我らは気付く。
ああ、そのカステラ店の回し者で、観光案内など二の次なのだと :-)
ま、太っ腹の我らは、それも旅の思い出として、いっちょ乗ってやろうと決定しオジさんに続く。
そして市内を走ること約10分で多くの石橋が連なる中島川の眼鏡橋前に到着し、
お土産を求める人は、そのカステラ店匠寛堂へ行く。
何でも毎年皇室へ献上する立派な店らしいが、
こんな姑息な手段で売り上げを伸ばす店を私は軽蔑する。もっと正々堂々と勝負しろ!
・・・でも一応試食はする。美味い。でも買わん。あばよ!
“ 団子よりも花 ” の私は、それよりも石橋群の風情の方が気になる。
これが眼鏡橋。
ひとり旅ならば思う存分ゆっくりと歩いて巡りたいものだが、
今回は時間も限られているので、他の石橋も眺めるべく両岸を早足で駆け抜ける健脚な私だ。
周囲のお寺も、その裏の坂本龍馬の銅像、亀山社中記念館なども垂涎の地なのだが・・・。
その後は消えたオジさんをよそに、さほど遠くないグラバー園方面へ向かうことにする。
遠くて無理、などといい加減なことを言いやがって、あのオヤジ (-_- # )
まずは結局グラバー園と大浦天主堂へ行くことになり、早朝の消化不良も消えて心躍る私だ。
ふと隣を走るバスの行き先=“ 女の都団地 ” なる地名に軽く反応する私 (^^)v
“ グラバー園へはここを左折 ” という大きな看板を無視してナビに従いバスは行く=大いに不安。
案の定、狭い急坂へ入り、道を間違えて無理に切り返しして、さらに激坂を上ることしばし・・・。
何とグラバー園の出口に来てしまったらしく、駐車中の観光タクシーのオッちゃんに、
「ここにこんな大きなバスで来てはダメだよ! 向こうの下に置いてきな!」 と注意を受ける。
またしても狭い場所で無理に切り返して先ほどの激坂を下るべく右折を試みるが、
車体は大きく右へ傾き非常に怖い! 対向車もドンドン来るしでモタつくことが異様に長く感じる。
・・・運転手さんの苦労も判るし、みんなと同様に私も、もうお腹いっぱい・・・(T_T)
ここから駐車場を探し移動するのも大変そうだし、結局このまま長崎市内を退散することに決定。
隣接する国宝 大浦天主堂の拝観も非常に惜しいが、
今回の観光は行き当たりばったり旅なので、こんな展開も受け入れますか (^^;)
あまりに呆気ない幕切れだが、何だかんだ云っても愉しかったしな (^^)d
さらば長崎市内! またいつの日か (^^)/
さて大村湾沿いの長崎自動車道のPA、SAでも名残惜しいかな長崎。
ここでも、これでもか!という遠い異国の地の、ご当地名物のラッシュに敢えなく陥落し、
名残惜しむように角煮まんじゅうと長崎チャンポンを愉しむ至福の時・・・(^^)d
しかし県内どこでも、和牛能力共進会へやってきた多くの各県の方々の姿を目にした。
何れも帽子やジャンバーを誇らしげに着用しており、特に御年配が多いようだが、
その仲間同士で話す方言言葉がまた解らない。
このSAでは宮崎軍団だが、昨夜のホテルロビーの島根軍団も外国人かと勘違いしてしまった。
まぁ、所変われば私の両親も同じだがね (^^)~♪
初日は小雨で煙り視界不良の佐賀市内の様子も今日は好く見える。
このように高速道移動時も車窓景色と頭の中の地図を重ね合わせることが好きな私だ。
太宰府近くに至れば、太宰府八幡宮は、あの辺りか?などと忙しいのだ。
やがて福岡空港へ到着し、長崎駅で別れたオヤジさんとも合流し、
17時30分出発までの2時間半を空港内でブラブラして過ごす。
展望所へ行くと先客は “ 飛騨牛 ” さん。
まさに5年に1度の和牛関係者の一大イベントであったことが、ここでも実感できるかも。
私たちが利用するFDA便も到着している。
周囲の作業のようす、特殊車両、施設、設備の数々などを、ただ眺めていても飽きないが、
何よりも作業員のキビキビした動作、作業が傍目にはすこぶる気持ちが好い。
このようなことから飛行機の安全が確保されるので、我々も安心して空の旅を愉しめるのだ。
軽く飲み食いした後に予定通りに福岡空港を飛び立つ。約100分ほどのフライトはあっと云う間だ。
新潟空港で会長のあいさつにより締めとする。
本目的の和牛能力共進会への陣中見舞い、応援は、
同じ置賜地域の和牛農家の仲間として共有できて有意義であったし、
観光に関しても、珍道中が旅をいっそうと彩り忘れられぬ思い出ともなり、
充実した時間を過ごすことが出来た。
全ての関係各位に感謝申し上げる m(_ _)m (終了)
PS. 番外編もよろしく m(_ _)m → 長崎美味いもん道中
和牛の祭典in長崎への旅(2) 会場満喫&友との再会 [-2012旅行]
その初日宿泊の福島温泉つばき荘の支配人は米沢市出身とのこと。
首都圏のヒルトンホテルからハウステンボス開業に伴い同地のヒルトンホテルへ移り、
現在に至っているとのことで、このような遠くの地での山形県ゆかりの人との出会いに、
妙な縁を感じるし、同時に何とも云えぬ親近感なども抱いてしまう。
そんな些細なことでも朝から何となく良い気分となり、今日一日も愉しく過ごせそうだ。
昨夜はとんでもない遠回りをしたが、今日は車載ナビも快調、周囲も見えるので安心だ。
ところが、ハウステンボスまでいよいよ約6kmという市街地で、
ナビの指示に従わずになぜか道を間違ってしまう。
実はこの界隈は、私がサラリーマン時代に勤めていた会社の長崎事業所があり、
知り合いで住んでいる人も多いらしいのだ。
その長崎事業所にかつては小国の同じ部署で技術者として働いた友人Kくんが転勤していて、
いま間違えて走っているこの辺りは、どうもKくんのアパートの近くで生活圏のようなのだ。
そのKくんが今日ハウステンボスまで会いに来てくれるとのことで、
ひょっとしたら駅まで徒歩で向かう姿に出逢うかも、ときょろきょろと辺りを見回し探してしまう。
・・・ま、そんな偶然あるわけないか。
昨日はナビに従って大失敗、今日はナビに従わずに快走。
この怪しい関係はこの後も続き、今回の旅の波乱のアクセントとなるのである。
雨模様の天気予報は見事に外れて暑いくらいの晴天となり、風邪気味の私には助かる。
本日の予定は15時まで自由行動でバス駐車場へ戻ればよいとのことだ。
13時から1時間ほど昨日のH氏の審査結果発表があり、会場へ再登場するので、
その勇姿くらいは応援見物することが最低の義務で、あとはお構いなし。
そこでKくんにここで会うべく事前に連絡を取っていたので、約束時間まで出店巡りを愉しむ。
通常はどこで売っているかも判らぬレアな商品群に、
せっかくの機会なれば何となく何かを買わなくては!とさせる雰囲気が怖いかも。
チンピラやツッパリが御用達の刺繍入りマニアックガウンなどが微笑ましい。ちなみに1万円近く。
日曜日ゆえか凄い人出の中、やがて待ち合わせ約束の時間となるが、
現地での場所指定とするが、携帯電話でやりとりしつつも、要領が悪くなかなか会えない!
携帯電話を握りしめ、お互い彷徨うこと数分・・・ついに懐かしのKくんと5年ぶりに再開。
変わらぬ細身の体形と気さくな声は、時間も距離も一気に取り払おうものだ。
(しっかりと手土産まで準備していただきありがたい m(_ _)m その気遣いもまた彼の人柄)
さまざまに語りあうことは尽きないが、せっかくの機会なれば美味いもので華を添えたい。
まずは私が今回どうしてもと狙う “ 土佐あかうしの牛串焼き ” へ突進だ。
あかうしは稀少種なので卸す店も非常に限られているらしいので、
日頃高知県へ行かない限りお目に掛かる機会はまず有り得ない。赤身美味し!!!(^^)d
続いて名物 “ 角煮まんじゅう ” をその名店で味わう。これまた美味し!!!(^^)d
やがて13時近くになったのでKくんを誘って審査会場へゆくが、
あまりの見物人の多さにより入場制限があるらしいが、危うく直前で何とか入れた・・・安堵。
しかし、何とか入ったはよいが座る場所が見つからない!
キョロキョロと見渡し「あ、あの上段が空いている」、
と周囲の方々へ窮屈なところを申し訳なく無理に道を空けていただき、何とか上りたどり着くが・・・
なんと、そこは・・・報道席! (どおりで空いていたわけだ・・・)
カメラマンのオネーさんに冷たく追い払われて、再び無理に道を空けていただき下りる。
「何やってんだよ・・・」「邪魔なヤツら・・・」などと、
周囲の無言の冷たい視線と雰囲気を体全体にビンビンと感じながら背中は冷や汗 (>_<);
仕方無く土俵間際へしゃがんで陣取ることとしたが、あー恥ずかしかった (>_<);
やがて第3区(若雌)の審査結果発表が始まり周囲の目はそちらへ移ったことだろう・・・安堵。
その対象33頭の中で、赤いジャンバーで目立つH氏も入場だ。
運良く我々の目の前に並ぶ。まさに砂かぶり席だ。おしっことウンチは勘弁してほしいが。
会場の応援も凄まじく、特に地元九州地区はいちいち大歓声だ。
この雰囲気は、まさに若者がAKB48やEXILEなどに熱狂する様子と本質的には何ら変わりない。
その入れ込みようは、例えば名産地のひとつ岐阜県は、
今大会専用にペイントした大型バスなどを準備して会場入りしているところからも伺える。
とにかく人も会場も熱い。私も先ほどまでの恥ずかしさの暑さも、完全に見物熱さに転換した。
そんな安堵感と熱い会場の雰囲気に染まり、思わず立ち上がり写真を撮ると、
ちょうど後ろを通り掛かったスタッフに、
「後ろの人の邪魔になるので立たないで!」 と注意を受ける (>_<)
・・・やっぱダメじゃん (T_T)
さて、審査結果では、その33頭の順位をつけるべく場所をどんどん入れ替えて移動する。
前回も書いたが、その時も大人しく従うようにの牛の調教であったのだ。
その結果は、特賞9頭?、1等賞20頭?、2等賞4頭?と分けられて、おのおの席次も決める。
特賞1、2席は本場宮崎牛のワンツーフィニッシュで、
我がH氏は1等賞5、6席目だったようで、まずは面子も保った立派な結果と云えたであろう。
まずはお疲れさまでした ♪
審査会場を後にし、先ほど売り切れ入荷待ちの名物 “ 佐世保バーガー ” をいただく。
ご当地名物は全てやっつけるなりけり!
せっかく来たのだから、全く興味が無いハウステンボスではあるが、入口まで行ってみる。
日曜日なので家族連れ、中国、韓国人ツアーなども多くて大混雑だ。
ホテルオークラの裏のコテージ群は、実際に生活で住んでいる人もいるとのこと。
そういえば、「ハウステンボス町1」などと住所を見かけた。
やがて時間となったので涙惜しみつつKくんと別れる・・・さらばまた会おうぞ (^^)/
15時バス集合が、15時30分に記念写真撮影のために厩舎集合と変更連絡を受けていたので、
15時15分頃に歩き向かっていると、「みんな集まってるぞ、早く来い!」と電話が入る。
予定、計画もそうだが、時間もあってないようもので、振り回されて疲れるかも・・・(-_-)
ようやく長いような、短いような共進会、ハウステンボスの時間は終わった。
ここで、お土産の長崎名物カステラなどを大量に買い宅急便で送ってやったが、
この旅行での私自身へのお土産は、
結局ここで買い求めた和牛系統解説書最新刊と夏場作業用のカウボーイハット。
・・・そんなこんなで応援、陣中見舞いの部は終了する。
さてこの後は、お楽しみの長崎市内観光なのでガイド本を取り出して道中景色に熱視線!
長崎市に向かうには大村湾の西側と東側を通るルートがあるが、
計画書では西側ルートで、西海橋を通りコバルトブルーの海と緑の中をドライブらしい。
西海橋は架橋当時は東洋一のアーチ橋と称えられ、橋からは日本三大急潮として名高い、
伊ノ浦瀬戸が見え、うず潮が観覧できるらしいので愉しみだったのだ。
さて、ホテル駐車場より右折して向かうと思いきや・・・
運転手はナビをササッと操作し準備完了、ウインカーをカチカチと左へ・・・
「あれ・・・? なんで右折して西海橋へ行かないの?」
どうやら、どうでもよいらしい=どうでもよいから、そうなるらしい (-_- # )
私もどうしても西海橋に拘っているわけではないが、計画書にそのように記載されていれば、
それなりに愉しみをみつけて下調べしてきたわけであって、その行動には簡単には納得ゆかん。
まぁ、たぶん同行しているほとんどの人は長崎市へ宿泊すれば、
それでよい程度にしか思っていないのだろうから、私も気持ちを切替えてシフトチェンジだ。
そんな柔軟な姿勢こそが大人というものである。
しかし、私は移動は点から点の線というタイプでは無く、点を結ぶ線は面と考える忙しいタイプだ。
その大村湾東側の移動道中にも、いとも簡単にシフトチェンジで愉しみを見出した。
「では脱サラした企業の長崎事業所の街を感じてみよう」 と。
ひょっとしたら自分もここへ転勤の可能性が無かったわけでもないし、生活の香りは興味がある。
小国からここへ転勤した人は多いし、逆にここから小国へ実習に来られた人々もいるので、
その地域を、空気を感じてみることも悪くはない。ふ~ん、なるほどねぇ。
その後は、東そのぎICより長崎自動車道に入り一路長崎市を目指す。
噂に聞いていた坂の街、長崎市内の様子は想像以上の狭い激坂の連続で驚く。
降雪が無く、凍結の心配も無いので約20%の勾配なども当たり前なのだろう。
またまたナビと運転間違いでホテルまでの道中にはドタバタがあったが、何とか到着。安堵。
ホテル前の景色のみでも満足の興奮を覚える。
ここでも和牛関係者がいるし、韓国人ツアーも大勢いる模様だ。
ひとっ風呂浴びて部屋のベランダで日本三大夜景を愉しむ。外でも暖かい。
バイキング&90分飲み放題の懇親会で忙しいが、食堂の一角を占領し牛話で盛り上がる。
2次会で街へ繰り出すよりも、通常は高層階ホテルへでも行かねば得られないこの夜景を、
普通に宿泊部屋から愉しみながら呑めることが最大のご褒美だ。長崎の夜に乾杯!
(もちろん、繁華街場末のカラオケで例の名曲を歌う野望も、いとも簡単に却下(^^) )
今日も、久しぶりに友に再会したしで充実した一日となった。
そして百万ドルの長崎の夜景・・・明ければいよいよ歴史の街の観光が待っている。
私が行く先々は常に愉しい!とウキウキるんるん ♪ と床につくが、
明日もまたナビとガイドに散々に振り回されることを未だ知らない・・・おやすみ~♪ (つづく)
首都圏のヒルトンホテルからハウステンボス開業に伴い同地のヒルトンホテルへ移り、
現在に至っているとのことで、このような遠くの地での山形県ゆかりの人との出会いに、
妙な縁を感じるし、同時に何とも云えぬ親近感なども抱いてしまう。
そんな些細なことでも朝から何となく良い気分となり、今日一日も愉しく過ごせそうだ。
昨夜はとんでもない遠回りをしたが、今日は車載ナビも快調、周囲も見えるので安心だ。
ところが、ハウステンボスまでいよいよ約6kmという市街地で、
ナビの指示に従わずになぜか道を間違ってしまう。
実はこの界隈は、私がサラリーマン時代に勤めていた会社の長崎事業所があり、
知り合いで住んでいる人も多いらしいのだ。
その長崎事業所にかつては小国の同じ部署で技術者として働いた友人Kくんが転勤していて、
いま間違えて走っているこの辺りは、どうもKくんのアパートの近くで生活圏のようなのだ。
そのKくんが今日ハウステンボスまで会いに来てくれるとのことで、
ひょっとしたら駅まで徒歩で向かう姿に出逢うかも、ときょろきょろと辺りを見回し探してしまう。
・・・ま、そんな偶然あるわけないか。
昨日はナビに従って大失敗、今日はナビに従わずに快走。
この怪しい関係はこの後も続き、今回の旅の波乱のアクセントとなるのである。
雨模様の天気予報は見事に外れて暑いくらいの晴天となり、風邪気味の私には助かる。
本日の予定は15時まで自由行動でバス駐車場へ戻ればよいとのことだ。
13時から1時間ほど昨日のH氏の審査結果発表があり、会場へ再登場するので、
その勇姿くらいは応援見物することが最低の義務で、あとはお構いなし。
そこでKくんにここで会うべく事前に連絡を取っていたので、約束時間まで出店巡りを愉しむ。
通常はどこで売っているかも判らぬレアな商品群に、
せっかくの機会なれば何となく何かを買わなくては!とさせる雰囲気が怖いかも。
チンピラやツッパリが御用達の刺繍入りマニアックガウンなどが微笑ましい。ちなみに1万円近く。
日曜日ゆえか凄い人出の中、やがて待ち合わせ約束の時間となるが、
現地での場所指定とするが、携帯電話でやりとりしつつも、要領が悪くなかなか会えない!
携帯電話を握りしめ、お互い彷徨うこと数分・・・ついに懐かしのKくんと5年ぶりに再開。
変わらぬ細身の体形と気さくな声は、時間も距離も一気に取り払おうものだ。
(しっかりと手土産まで準備していただきありがたい m(_ _)m その気遣いもまた彼の人柄)
さまざまに語りあうことは尽きないが、せっかくの機会なれば美味いもので華を添えたい。
まずは私が今回どうしてもと狙う “ 土佐あかうしの牛串焼き ” へ突進だ。
あかうしは稀少種なので卸す店も非常に限られているらしいので、
日頃高知県へ行かない限りお目に掛かる機会はまず有り得ない。赤身美味し!!!(^^)d
続いて名物 “ 角煮まんじゅう ” をその名店で味わう。これまた美味し!!!(^^)d
やがて13時近くになったのでKくんを誘って審査会場へゆくが、
あまりの見物人の多さにより入場制限があるらしいが、危うく直前で何とか入れた・・・安堵。
しかし、何とか入ったはよいが座る場所が見つからない!
キョロキョロと見渡し「あ、あの上段が空いている」、
と周囲の方々へ窮屈なところを申し訳なく無理に道を空けていただき、何とか上りたどり着くが・・・
なんと、そこは・・・報道席! (どおりで空いていたわけだ・・・)
カメラマンのオネーさんに冷たく追い払われて、再び無理に道を空けていただき下りる。
「何やってんだよ・・・」「邪魔なヤツら・・・」などと、
周囲の無言の冷たい視線と雰囲気を体全体にビンビンと感じながら背中は冷や汗 (>_<);
仕方無く土俵間際へしゃがんで陣取ることとしたが、あー恥ずかしかった (>_<);
やがて第3区(若雌)の審査結果発表が始まり周囲の目はそちらへ移ったことだろう・・・安堵。
その対象33頭の中で、赤いジャンバーで目立つH氏も入場だ。
運良く我々の目の前に並ぶ。まさに砂かぶり席だ。おしっことウンチは勘弁してほしいが。
会場の応援も凄まじく、特に地元九州地区はいちいち大歓声だ。
この雰囲気は、まさに若者がAKB48やEXILEなどに熱狂する様子と本質的には何ら変わりない。
その入れ込みようは、例えば名産地のひとつ岐阜県は、
今大会専用にペイントした大型バスなどを準備して会場入りしているところからも伺える。
とにかく人も会場も熱い。私も先ほどまでの恥ずかしさの暑さも、完全に見物熱さに転換した。
そんな安堵感と熱い会場の雰囲気に染まり、思わず立ち上がり写真を撮ると、
ちょうど後ろを通り掛かったスタッフに、
「後ろの人の邪魔になるので立たないで!」 と注意を受ける (>_<)
・・・やっぱダメじゃん (T_T)
さて、審査結果では、その33頭の順位をつけるべく場所をどんどん入れ替えて移動する。
前回も書いたが、その時も大人しく従うようにの牛の調教であったのだ。
その結果は、特賞9頭?、1等賞20頭?、2等賞4頭?と分けられて、おのおの席次も決める。
特賞1、2席は本場宮崎牛のワンツーフィニッシュで、
我がH氏は1等賞5、6席目だったようで、まずは面子も保った立派な結果と云えたであろう。
まずはお疲れさまでした ♪
審査会場を後にし、先ほど売り切れ入荷待ちの名物 “ 佐世保バーガー ” をいただく。
ご当地名物は全てやっつけるなりけり!
せっかく来たのだから、全く興味が無いハウステンボスではあるが、入口まで行ってみる。
日曜日なので家族連れ、中国、韓国人ツアーなども多くて大混雑だ。
ホテルオークラの裏のコテージ群は、実際に生活で住んでいる人もいるとのこと。
そういえば、「ハウステンボス町1」などと住所を見かけた。
やがて時間となったので涙惜しみつつKくんと別れる・・・さらばまた会おうぞ (^^)/
15時バス集合が、15時30分に記念写真撮影のために厩舎集合と変更連絡を受けていたので、
15時15分頃に歩き向かっていると、「みんな集まってるぞ、早く来い!」と電話が入る。
予定、計画もそうだが、時間もあってないようもので、振り回されて疲れるかも・・・(-_-)
ようやく長いような、短いような共進会、ハウステンボスの時間は終わった。
ここで、お土産の長崎名物カステラなどを大量に買い宅急便で送ってやったが、
この旅行での私自身へのお土産は、
結局ここで買い求めた和牛系統解説書最新刊と夏場作業用のカウボーイハット。
・・・そんなこんなで応援、陣中見舞いの部は終了する。
さてこの後は、お楽しみの長崎市内観光なのでガイド本を取り出して道中景色に熱視線!
長崎市に向かうには大村湾の西側と東側を通るルートがあるが、
計画書では西側ルートで、西海橋を通りコバルトブルーの海と緑の中をドライブらしい。
西海橋は架橋当時は東洋一のアーチ橋と称えられ、橋からは日本三大急潮として名高い、
伊ノ浦瀬戸が見え、うず潮が観覧できるらしいので愉しみだったのだ。
さて、ホテル駐車場より右折して向かうと思いきや・・・
運転手はナビをササッと操作し準備完了、ウインカーをカチカチと左へ・・・
「あれ・・・? なんで右折して西海橋へ行かないの?」
どうやら、どうでもよいらしい=どうでもよいから、そうなるらしい (-_- # )
私もどうしても西海橋に拘っているわけではないが、計画書にそのように記載されていれば、
それなりに愉しみをみつけて下調べしてきたわけであって、その行動には簡単には納得ゆかん。
まぁ、たぶん同行しているほとんどの人は長崎市へ宿泊すれば、
それでよい程度にしか思っていないのだろうから、私も気持ちを切替えてシフトチェンジだ。
そんな柔軟な姿勢こそが大人というものである。
しかし、私は移動は点から点の線というタイプでは無く、点を結ぶ線は面と考える忙しいタイプだ。
その大村湾東側の移動道中にも、いとも簡単にシフトチェンジで愉しみを見出した。
「では脱サラした企業の長崎事業所の街を感じてみよう」 と。
ひょっとしたら自分もここへ転勤の可能性が無かったわけでもないし、生活の香りは興味がある。
小国からここへ転勤した人は多いし、逆にここから小国へ実習に来られた人々もいるので、
その地域を、空気を感じてみることも悪くはない。ふ~ん、なるほどねぇ。
その後は、東そのぎICより長崎自動車道に入り一路長崎市を目指す。
噂に聞いていた坂の街、長崎市内の様子は想像以上の狭い激坂の連続で驚く。
降雪が無く、凍結の心配も無いので約20%の勾配なども当たり前なのだろう。
またまたナビと運転間違いでホテルまでの道中にはドタバタがあったが、何とか到着。安堵。
ホテル前の景色のみでも満足の興奮を覚える。
ここでも和牛関係者がいるし、韓国人ツアーも大勢いる模様だ。
ひとっ風呂浴びて部屋のベランダで日本三大夜景を愉しむ。外でも暖かい。
バイキング&90分飲み放題の懇親会で忙しいが、食堂の一角を占領し牛話で盛り上がる。
2次会で街へ繰り出すよりも、通常は高層階ホテルへでも行かねば得られないこの夜景を、
普通に宿泊部屋から愉しみながら呑めることが最大のご褒美だ。長崎の夜に乾杯!
(もちろん、繁華街場末のカラオケで例の名曲を歌う野望も、いとも簡単に却下(^^) )
今日も、久しぶりに友に再会したしで充実した一日となった。
そして百万ドルの長崎の夜景・・・明ければいよいよ歴史の街の観光が待っている。
私が行く先々は常に愉しい!とウキウキるんるん ♪ と床につくが、
明日もまたナビとガイドに散々に振り回されることを未だ知らない・・・おやすみ~♪ (つづく)
和牛の祭典in長崎への旅(1) 陣中見舞い [-2012旅行]
10/25(木)~29(月)の5日間にわたり5年に1度の、
第10回全国和牛能力共進会が長崎県のハウステンボスを主会場に開催された。
全国各県より選りすぐりの和牛全480頭が一堂に会する祭典で、
山形県は7頭の出品だが、その中の1頭として近所の例の牛おじさん=H氏が、
自身の長年の参加懇願が成就し、晴れて県代表となったで、
その応援、陣中見舞いとして私も出動してきたのだ。
ここ数ヶ月、早朝なぜに大勢で牛の散歩をしているのかと云うと、
実はこの大会へ参加するので調教訓練をしていたのであったのだったんだ。
H氏、スタッフは事前に現地入りしていたが、
H氏地元我が小国町より6名、置賜(米沢市、川西町)より6名の、
計12名の大応援団が結成されて、
27(土)~29(日)の2泊3日の計画で陣中見舞い+長崎観光ツアーなのだ。
新潟空港より福岡空港へ飛び立ち、福岡よりレンタカーにて高速道で長崎へ向かう。
人生初の九州上陸にわくわく♪する少年オヤジだが、直前に風邪をひいてしまい最悪↓
しかし地図でしか知らぬ地名を、今現実に踏破し目にしていると思うと、そんなことでも愉しい。
太宰府=天満宮、鳥栖商業=野球、久留米商業=野球、柳川=野球、大牟田=駅伝、
佐賀商業・佐賀北・佐賀学園=野球、白石=駅伝、佐世保実業=野球 ・・・などなど、
あれ?高校スポーツばかり (^_^)v
あいにくの小雨模様だが、会場のハウステンボスへ到着すると自然と気分は高鳴る。
(ホントはバブリーなテーマパークの類いには全く興味は無いんだけど・・・)
その大駐車場が会場となり、各県のブース、出店等が多く連なっている。
雨の土曜日の午後3時頃なれば、それなりの人の数だ。
各県のスタッフは、ジャンパー、帽子などのアパレルを統一して士気を高めているので、
“ 俺たちの牛こそ!” という感じの誇り、熱気がビンビンと伝わってくる。
一般の人は入場禁止の厩舎へ、まさに陣中見舞いに向かう。
いましたよ、見慣れた例の姿格好のH氏が。
「なんだ、お前も来てくれたのか? 自衛隊の人かと思ったぞ、アッハッハ!」
「・・・・・・」
私の、家政婦のミタよろしきダークグリーンの帽子より、そう思ったのだろう (-_- # )
全くあのオヤジ、普通の人なればただの冗談だが、あの人は真面目に言っているのだ。
昔からマイペース・マイワールドなので怖い。ここでも炸裂。
地元町原地区隣組代表の私への第一声がこれだもんなぁ・・・やれやれ (^_-)
肝心の審査はこの日の午前に終了し、いつも我が家の前にお土産を落とす“みれかつ号”を労う。
和牛産地の東北、山陰、九州の各県は25~30頭を出品するが、
どの県も意気揚々と誇示する熱気に溢れている。
珍しい高知県は土佐のあかうし。初めて見る実物に少し感激。
さて審査会場にて、現在も続いている審査の様子を見物する。
入場、待機、退場と審査時にチョロチョロとしないように、事前に調教を行っていたわけだ。
牛が紹介される度に、地元応援団から大歓声があがる。
約1時間の1クールの見物が終了したことろで退散して、各ブース見物をする。
まずは各県自慢の改良和牛のパンフレットを集めまくる。
これはサラリーマン時代の“セミコンジャパン”と何ら変わりなく懐かしい作業だ。
また、農業関係業者や物品販売ブース巡りも愉しい。
そんな約2時間で夕暮れとなり本日の会場ミッションが終了し、
その後はスタッフとの合同激励会なる呑み会が待っている。
当初はスタッフ宿泊のハウステンボス真ん前のホテルが会場予定であったが、
毎晩、カニの食べ放題で飽きたのか何なのか、予定変更して佐世保駅前の居酒屋となった。
佐世保繁華街でも大会の旗がなびいている。
米沢の銘酒?“なぜば成る” を持ち込み、まさに激励だ。
雑魚屋(ざこや)の店名どおり魚が美味いが、ステーキも美味かった!
やはり高級牛肉は箸で切れるほどに柔らかく、まろやか~♪
H氏は地元公民館などの呑み会では、いつも自慢の一句をひねりだし披露するクセがあるので、
私が例によって催促すると、いつものように「困ったなぁ」などと嬉しそうに立ち上がる・・・そして、
明日ひかえ 今夜の宴はいつになく どこまでやれる 今は思いて
(ハイ拍手(・・||||rパンパンッパンツ)
ちなみに前置きまで原稿を書いてやんの・・・こーゆーところがいつものH氏だ (^^)
明日の結果発表に向けての賑やかな激励会は予定どおり2時間弱で終了し、
ホテルの送迎バスで再びハウステンボス前へ戻る。
スタッフとお別れし、我々は約60km=約1時間離れた宿泊温泉宿へ移動する。
時間は21時前後、雨は降っているし、泥酔のバス移動も楽ではないが、
運転手は同行のJA職員=仲間なので気遣いを忘れては・・・
・・・が眠い、眠すぎるZZZZzzzzz・・・。
・・・しばし意識を失ったようだが、ふと目を覚ますと前方の運転席で騒ぐ様子が伺える。
途中でナビが消えた! と。
そこで私のスマートフォンのGPSで現在地を確認すると、何ととんでもない場所にいる。
ハウステンボスから素直に北上し焼き物で有名な有田町、伊万里市を経由するのが、
一般的なルートであろうが、なぜか松浦市の松浦駅前に居るのだ!
宿泊宿の福島温泉つばき荘がナビに表れなかったので電話番号は入力できたので、
それに従って走り続けたとのことだが、とんでもない遠回りだ。
最新データへ更新されていないことが原因だが、電話番号は読み取ったとは如何なることか?
何かしらの勘違いか間違いがあったものと推察される。
そこで助手席に乗る会長さんの、
スマホのナビにて温泉宿へ向かうことになり、私もナビを確認する。
ここからあと45分=予定の倍以上の時間を要する・・・ (T_T)
ところで、ここまで来る途中に近年高校野球で活躍する清峰高校の前を通過したらしい。
3年半前の春の選抜大会で、春夏通して長崎県勢初の優勝を飾った強豪校だ。
その優勝により鉄道の駅名も「清峰高校前」と改名したのだから素晴らしい (^_^)v
エース今村投手を擁し夏も期待されたが、
あっけなく県大会準々決勝で敗れたのも記憶に新しい。
その後の甲子園への道自体が遠いのも寂しい・・・
・・・と高校野球ファンはうんたらかんたら (^^)
・・・と、そんなマニアックなことを考えつつ、
スマホで道中を凝視し続ける。
この時に初めてスマホのナビを使ったが、
結構使えそうなことを確認する。これはイイ!
やがて何とか温泉宿近くに辿りつくが、
ここでも左折位置を見逃して通過してしまい、
戻るべく切り返したはよいが、
なぜか早めに右折してしまい再び怪しい狭いクネクネ道へ入る・・・。
「おかしいぞ、こんな狭い道!」
「曲がりくねり、危ないんじゃね-か!?」
「止めろ、戻れ!」
などなど車内は一種のパニック状態。
いよいよ獣道のような隘路を進めなくなってしまい万事休す・・・。
夜で視界も悪く、しかも雨、そして道端はたぶん奈落の崖・・・。
約200mのバックも難しいので無理矢理に切り返しを試みるので周囲がサポートする。
「切って、切って、オーライ!」
「あー切りすぎ、危ない!!!」
「ぶつかる!」
「危ない落ちる!!!」
などとパニック映画顔負けの展開が、
今まさに現実に目の前で繰り広げられているわけで、
私は内心「こんな所で崖から落ちて死にたくない!助けて!」
と切に願ってしまった (T_T)
到着残りわずか数百mでなぜにこんなことを・・・
・・・もう23時近くなのに。完全に酔いは覚めている。
(仕事で遅くのビジネスホテル入りはいざ知らず、
温泉旅館への大遅刻は初体験かも。)
何とか切り返しに成功してゆっくりと走り、
温泉宿入口を見つけて到着・・・長かった (-_-)
ハウステンボス近くの宿泊は予約満席なので、
こんな遠くだが同じように宮崎の方々も居たようだ。
今回の祭典での経済効果は凄まじいことだろうし、
2年後に国体も控えているので絶好調かも。
早朝からの移動に、
最後は倍の時間を費やした珍道中ドライブでぐったりと疲れていたが、
同部屋の先輩に「軽く呑むぞ」と気合いを入れられて付き合い、
就寝は午前1時前であった。
翌日に備えてようやく泥のように眠りについたのであったのだったん。
疲れた 。゜(゜´Д`゜)゜。。。。 (つづく)
第10回全国和牛能力共進会が長崎県のハウステンボスを主会場に開催された。
全国各県より選りすぐりの和牛全480頭が一堂に会する祭典で、
山形県は7頭の出品だが、その中の1頭として近所の例の牛おじさん=H氏が、
自身の長年の参加懇願が成就し、晴れて県代表となったで、
その応援、陣中見舞いとして私も出動してきたのだ。
ここ数ヶ月、早朝なぜに大勢で牛の散歩をしているのかと云うと、
実はこの大会へ参加するので調教訓練をしていたのであったのだったんだ。
H氏、スタッフは事前に現地入りしていたが、
H氏地元我が小国町より6名、置賜(米沢市、川西町)より6名の、
計12名の大応援団が結成されて、
27(土)~29(日)の2泊3日の計画で陣中見舞い+長崎観光ツアーなのだ。
新潟空港より福岡空港へ飛び立ち、福岡よりレンタカーにて高速道で長崎へ向かう。
人生初の九州上陸にわくわく♪する少年オヤジだが、直前に風邪をひいてしまい最悪↓
しかし地図でしか知らぬ地名を、今現実に踏破し目にしていると思うと、そんなことでも愉しい。
太宰府=天満宮、鳥栖商業=野球、久留米商業=野球、柳川=野球、大牟田=駅伝、
佐賀商業・佐賀北・佐賀学園=野球、白石=駅伝、佐世保実業=野球 ・・・などなど、
あれ?高校スポーツばかり (^_^)v
あいにくの小雨模様だが、会場のハウステンボスへ到着すると自然と気分は高鳴る。
(ホントはバブリーなテーマパークの類いには全く興味は無いんだけど・・・)
その大駐車場が会場となり、各県のブース、出店等が多く連なっている。
雨の土曜日の午後3時頃なれば、それなりの人の数だ。
各県のスタッフは、ジャンパー、帽子などのアパレルを統一して士気を高めているので、
“ 俺たちの牛こそ!” という感じの誇り、熱気がビンビンと伝わってくる。
一般の人は入場禁止の厩舎へ、まさに陣中見舞いに向かう。
いましたよ、見慣れた例の姿格好のH氏が。
「なんだ、お前も来てくれたのか? 自衛隊の人かと思ったぞ、アッハッハ!」
「・・・・・・」
私の、家政婦のミタよろしきダークグリーンの帽子より、そう思ったのだろう (-_- # )
全くあのオヤジ、普通の人なればただの冗談だが、あの人は真面目に言っているのだ。
昔からマイペース・マイワールドなので怖い。ここでも炸裂。
地元町原地区隣組代表の私への第一声がこれだもんなぁ・・・やれやれ (^_-)
肝心の審査はこの日の午前に終了し、いつも我が家の前にお土産を落とす“みれかつ号”を労う。
和牛産地の東北、山陰、九州の各県は25~30頭を出品するが、
どの県も意気揚々と誇示する熱気に溢れている。
珍しい高知県は土佐のあかうし。初めて見る実物に少し感激。
さて審査会場にて、現在も続いている審査の様子を見物する。
入場、待機、退場と審査時にチョロチョロとしないように、事前に調教を行っていたわけだ。
牛が紹介される度に、地元応援団から大歓声があがる。
約1時間の1クールの見物が終了したことろで退散して、各ブース見物をする。
まずは各県自慢の改良和牛のパンフレットを集めまくる。
これはサラリーマン時代の“セミコンジャパン”と何ら変わりなく懐かしい作業だ。
また、農業関係業者や物品販売ブース巡りも愉しい。
そんな約2時間で夕暮れとなり本日の会場ミッションが終了し、
その後はスタッフとの合同激励会なる呑み会が待っている。
当初はスタッフ宿泊のハウステンボス真ん前のホテルが会場予定であったが、
毎晩、カニの食べ放題で飽きたのか何なのか、予定変更して佐世保駅前の居酒屋となった。
佐世保繁華街でも大会の旗がなびいている。
米沢の銘酒?“なぜば成る” を持ち込み、まさに激励だ。
雑魚屋(ざこや)の店名どおり魚が美味いが、ステーキも美味かった!
やはり高級牛肉は箸で切れるほどに柔らかく、まろやか~♪
H氏は地元公民館などの呑み会では、いつも自慢の一句をひねりだし披露するクセがあるので、
私が例によって催促すると、いつものように「困ったなぁ」などと嬉しそうに立ち上がる・・・そして、
明日ひかえ 今夜の宴はいつになく どこまでやれる 今は思いて
(ハイ拍手(・・||||rパンパンッパンツ)
ちなみに前置きまで原稿を書いてやんの・・・こーゆーところがいつものH氏だ (^^)
明日の結果発表に向けての賑やかな激励会は予定どおり2時間弱で終了し、
ホテルの送迎バスで再びハウステンボス前へ戻る。
スタッフとお別れし、我々は約60km=約1時間離れた宿泊温泉宿へ移動する。
時間は21時前後、雨は降っているし、泥酔のバス移動も楽ではないが、
運転手は同行のJA職員=仲間なので気遣いを忘れては・・・
・・・が眠い、眠すぎるZZZZzzzzz・・・。
・・・しばし意識を失ったようだが、ふと目を覚ますと前方の運転席で騒ぐ様子が伺える。
途中でナビが消えた! と。
そこで私のスマートフォンのGPSで現在地を確認すると、何ととんでもない場所にいる。
ハウステンボスから素直に北上し焼き物で有名な有田町、伊万里市を経由するのが、
一般的なルートであろうが、なぜか松浦市の松浦駅前に居るのだ!
宿泊宿の福島温泉つばき荘がナビに表れなかったので電話番号は入力できたので、
それに従って走り続けたとのことだが、とんでもない遠回りだ。
最新データへ更新されていないことが原因だが、電話番号は読み取ったとは如何なることか?
何かしらの勘違いか間違いがあったものと推察される。
そこで助手席に乗る会長さんの、
スマホのナビにて温泉宿へ向かうことになり、私もナビを確認する。
ここからあと45分=予定の倍以上の時間を要する・・・ (T_T)
ところで、ここまで来る途中に近年高校野球で活躍する清峰高校の前を通過したらしい。
3年半前の春の選抜大会で、春夏通して長崎県勢初の優勝を飾った強豪校だ。
その優勝により鉄道の駅名も「清峰高校前」と改名したのだから素晴らしい (^_^)v
エース今村投手を擁し夏も期待されたが、
あっけなく県大会準々決勝で敗れたのも記憶に新しい。
その後の甲子園への道自体が遠いのも寂しい・・・
・・・と高校野球ファンはうんたらかんたら (^^)
・・・と、そんなマニアックなことを考えつつ、
スマホで道中を凝視し続ける。
この時に初めてスマホのナビを使ったが、
結構使えそうなことを確認する。これはイイ!
やがて何とか温泉宿近くに辿りつくが、
ここでも左折位置を見逃して通過してしまい、
戻るべく切り返したはよいが、
なぜか早めに右折してしまい再び怪しい狭いクネクネ道へ入る・・・。
「おかしいぞ、こんな狭い道!」
「曲がりくねり、危ないんじゃね-か!?」
「止めろ、戻れ!」
などなど車内は一種のパニック状態。
いよいよ獣道のような隘路を進めなくなってしまい万事休す・・・。
夜で視界も悪く、しかも雨、そして道端はたぶん奈落の崖・・・。
約200mのバックも難しいので無理矢理に切り返しを試みるので周囲がサポートする。
「切って、切って、オーライ!」
「あー切りすぎ、危ない!!!」
「ぶつかる!」
「危ない落ちる!!!」
などとパニック映画顔負けの展開が、
今まさに現実に目の前で繰り広げられているわけで、
私は内心「こんな所で崖から落ちて死にたくない!助けて!」
と切に願ってしまった (T_T)
到着残りわずか数百mでなぜにこんなことを・・・
・・・もう23時近くなのに。完全に酔いは覚めている。
(仕事で遅くのビジネスホテル入りはいざ知らず、
温泉旅館への大遅刻は初体験かも。)
何とか切り返しに成功してゆっくりと走り、
温泉宿入口を見つけて到着・・・長かった (-_-)
ハウステンボス近くの宿泊は予約満席なので、
こんな遠くだが同じように宮崎の方々も居たようだ。
今回の祭典での経済効果は凄まじいことだろうし、
2年後に国体も控えているので絶好調かも。
早朝からの移動に、
最後は倍の時間を費やした珍道中ドライブでぐったりと疲れていたが、
同部屋の先輩に「軽く呑むぞ」と気合いを入れられて付き合い、
就寝は午前1時前であった。
翌日に備えてようやく泥のように眠りについたのであったのだったん。
疲れた 。゜(゜´Д`゜)゜。。。。 (つづく)
農家の休日・・・会津若松プチ旅行2012夏 [-2012旅行]
その日中は、突然の思いつきで福島県会津若松市へ出動することになったが、
それでも早朝はしっかりと除草剤散布で働いてこその農家の休日だ。
3年前の夏休みも同じようにプチ旅行で訪問した会津若松だが、
何回訪問しても魅力の尽きない全国区の大観光地だ。
→ 会津若松プチ旅行 (百姓将軍残日録)
2年前の夏も2回ほど出没したっけな。
→ 裏磐梯・猪苗代プチ旅行 (百姓将軍残日録)
→ 猪苗代湖畔ハーフマラソンの旅(1) ソースかつ丼を求めて (百姓将軍残日録)
あ、そういえば昨年秋も・・・。
→ 会津若松へ視察研修&交流会 (脱サラオヤジの農家日記)
・・・と、云うわけで如何に私が会津若松を愛しているかが知れよう (^^)/
まずは県境大峠道路を越えて喜多方市へ入り名物喜多方ラーメンで昼食だ。
その店「喜一」の熟成醤油ラーメンは久しぶりに喜多方らしい一杯で満足であった。
(一瞬「うっ、善一(よしいち)=ゼンさん!」と勘違いしそうだが (^_^;)・・・ ローカルネタすんません )
半分開通の会津縦貫北道路より会津若松市内へ入り繁華街大通りを地元人並に爆走し、
会津若松城の、三の丸PAへクルマを駐車し、いざ城へ出陣!
実は、今回訪問の大目的は、3号の夏休み自由研究の課題として、
「お城」研究とのことで、天守閣がありイメージの掴み易い会津若松城を見学なのだ。
(それは・・・「城ガール」決定!・・・お父さんは嬉しいぞ、うっうっうっ (嬉泣))
・・・ということで赤い廊下橋を渡り虎口の石垣に見とれながら威風堂々の入城だ。
会津若松城は別名 鶴ヶ城ともいう。
天守閣最上階の眺めを愉しむチビたちだが、何処に何が何だがも判らないが・・・。
登閣記念のスタンプ・・・子どもはスタンプ好きだが私も同じようなものが好きなんだよね。
当日も酷暑の午後ゆえに、空調の効いた休憩エリアで、かき氷三昧の3匹の分身。
さて会津若松城を退散と思いきや、4号が行こう!と言い出した城内の稲荷神社だが、
その4号に、「何をお願いしたの?」
と質問すると、「え、神社ってお願いするの?」
との4号の回答に、「じゃあ、何をしていたの?」
と突っ込むと、「ただ拝んでいただけ・・・」 と、いうレベルだったりする訳で・・・ (^_^;)♪
まずは3号の自由研究のための白鶴の如き鶴ヶ城よ、さらば~♪ 今日も好かったぜ (^_-)v
詳細記事はこちら → オレの城!・・・会津若松城(鶴ヶ城)
次は会津若松城の東側に隣接する、
お隣飯豊町の農家&4人の子持ち友人のyumeoさんが絶賛する福島県立博物館へ突撃する。
子どもたちの夏休み企画らしい学習ミッションが準備されており、
古代から近代までを質問、確認、筆記により、自然と学ぶことが出来るは良いことだ。
県内出土の考古品の展示に福島県の意気込みを感じること、素晴らしい。
館内では、シャッター音、三脚使用は不可だが写真撮影可ゆえに、
国宝の木像仏像なども展示されていたのに、福島県の太っ腹さにも脱帽だ。
常設展の次は特別展の「恐竜時代のふくしま」で映画ジュラシック・パークの世界を愉しむ。
「恐竜にさわってみよう・・・恐竜のウンチ」に4号がタッチ! (子どもはウンチ、おしっこ、おしりなどが大好き♪)
展示室最後には訪問者アンケートがあり3、4号は面白がって記入するが・・・
4号は訳が判らずテキトーに記入してやがる・・・「TVで知った」などといい加減なことを (^^;)
まずは私自身、博物館の面白さを再認識させられたので有意義な見学であった。
お薦め紹介のyumeoさん ありがとうございました=家族で十分に愉しみましたよ m(_ _)m
会津若松城、県立博物館を3時間かけて堪能したその後は、
会津若松市の南西方向へ約10kmの会津美里町に鎮座する伊佐須美(いさすみ)神社へ参拝だ。
例のガイドでも紹介されている岩代の国 一ノ宮の運気にあやかる。
詳細記事はこちら → オレの神社!・・・伊佐須美神社
どこの徘徊中にも3、4号は東京より帰郷で久しぶりに会う1号とワーワーと戯れ騒いでいたが、
そんな様子が微笑ましく嬉しい親心であり、兄弟はいつまでも仲良くしてほしいと願う。
私がどこの神社でも願うことは、そんなことがほとんどだ。
その後は会津若松市内で、1号の希望でGEO(ゲオ)に寄り、
米沢市内で、3、4号の希望でかっぱ寿司で夕食をとり、予定通り20時過ぎに帰宅であった。
自営ゆえに休日確保は自由だが、案外計画通りに行かないことも多い。
反面、直前の仕事の進捗具合により、このように突然に思い立って出掛けることも多い。
それには日頃より情報確保しシミュレーションを繰り返していることがポイントだ (^_^)v
会津若松はその他にも訪問したい名所、マニアックポイントが未だ未だ多いし、
Facebookの友人も居れば会ってみたいし、
再訪意欲は満々の地域・・・viva 会津若松 (^o^)! また行くぜ!(熱)
そして帰宅して数日・・・3号の自由研究の「お城」は未だに完成していない・・・(-_- #)
それでも早朝はしっかりと除草剤散布で働いてこその農家の休日だ。
3年前の夏休みも同じようにプチ旅行で訪問した会津若松だが、
何回訪問しても魅力の尽きない全国区の大観光地だ。
→ 会津若松プチ旅行 (百姓将軍残日録)
2年前の夏も2回ほど出没したっけな。
→ 裏磐梯・猪苗代プチ旅行 (百姓将軍残日録)
→ 猪苗代湖畔ハーフマラソンの旅(1) ソースかつ丼を求めて (百姓将軍残日録)
あ、そういえば昨年秋も・・・。
→ 会津若松へ視察研修&交流会 (脱サラオヤジの農家日記)
・・・と、云うわけで如何に私が会津若松を愛しているかが知れよう (^^)/
まずは県境大峠道路を越えて喜多方市へ入り名物喜多方ラーメンで昼食だ。
その店「喜一」の熟成醤油ラーメンは久しぶりに喜多方らしい一杯で満足であった。
(一瞬「うっ、善一(よしいち)=ゼンさん!」と勘違いしそうだが (^_^;)・・・ ローカルネタすんません )
半分開通の会津縦貫北道路より会津若松市内へ入り繁華街大通りを地元人並に爆走し、
会津若松城の、三の丸PAへクルマを駐車し、いざ城へ出陣!
実は、今回訪問の大目的は、3号の夏休み自由研究の課題として、
「お城」研究とのことで、天守閣がありイメージの掴み易い会津若松城を見学なのだ。
(それは・・・「城ガール」決定!・・・お父さんは嬉しいぞ、うっうっうっ (嬉泣))
・・・ということで赤い廊下橋を渡り虎口の石垣に見とれながら威風堂々の入城だ。
会津若松城は別名 鶴ヶ城ともいう。
天守閣最上階の眺めを愉しむチビたちだが、何処に何が何だがも判らないが・・・。
登閣記念のスタンプ・・・子どもはスタンプ好きだが私も同じようなものが好きなんだよね。
当日も酷暑の午後ゆえに、空調の効いた休憩エリアで、かき氷三昧の3匹の分身。
さて会津若松城を退散と思いきや、4号が行こう!と言い出した城内の稲荷神社だが、
その4号に、「何をお願いしたの?」
と質問すると、「え、神社ってお願いするの?」
との4号の回答に、「じゃあ、何をしていたの?」
と突っ込むと、「ただ拝んでいただけ・・・」 と、いうレベルだったりする訳で・・・ (^_^;)♪
まずは3号の自由研究のための白鶴の如き鶴ヶ城よ、さらば~♪ 今日も好かったぜ (^_-)v
詳細記事はこちら → オレの城!・・・会津若松城(鶴ヶ城)
次は会津若松城の東側に隣接する、
お隣飯豊町の農家&4人の子持ち友人のyumeoさんが絶賛する福島県立博物館へ突撃する。
子どもたちの夏休み企画らしい学習ミッションが準備されており、
古代から近代までを質問、確認、筆記により、自然と学ぶことが出来るは良いことだ。
県内出土の考古品の展示に福島県の意気込みを感じること、素晴らしい。
館内では、シャッター音、三脚使用は不可だが写真撮影可ゆえに、
国宝の木像仏像なども展示されていたのに、福島県の太っ腹さにも脱帽だ。
常設展の次は特別展の「恐竜時代のふくしま」で映画ジュラシック・パークの世界を愉しむ。
「恐竜にさわってみよう・・・恐竜のウンチ」に4号がタッチ! (子どもはウンチ、おしっこ、おしりなどが大好き♪)
展示室最後には訪問者アンケートがあり3、4号は面白がって記入するが・・・
4号は訳が判らずテキトーに記入してやがる・・・「TVで知った」などといい加減なことを (^^;)
まずは私自身、博物館の面白さを再認識させられたので有意義な見学であった。
お薦め紹介のyumeoさん ありがとうございました=家族で十分に愉しみましたよ m(_ _)m
会津若松城、県立博物館を3時間かけて堪能したその後は、
会津若松市の南西方向へ約10kmの会津美里町に鎮座する伊佐須美(いさすみ)神社へ参拝だ。
例のガイドでも紹介されている岩代の国 一ノ宮の運気にあやかる。
詳細記事はこちら → オレの神社!・・・伊佐須美神社
どこの徘徊中にも3、4号は東京より帰郷で久しぶりに会う1号とワーワーと戯れ騒いでいたが、
そんな様子が微笑ましく嬉しい親心であり、兄弟はいつまでも仲良くしてほしいと願う。
私がどこの神社でも願うことは、そんなことがほとんどだ。
その後は会津若松市内で、1号の希望でGEO(ゲオ)に寄り、
米沢市内で、3、4号の希望でかっぱ寿司で夕食をとり、予定通り20時過ぎに帰宅であった。
自営ゆえに休日確保は自由だが、案外計画通りに行かないことも多い。
反面、直前の仕事の進捗具合により、このように突然に思い立って出掛けることも多い。
それには日頃より情報確保しシミュレーションを繰り返していることがポイントだ (^_^)v
会津若松はその他にも訪問したい名所、マニアックポイントが未だ未だ多いし、
Facebookの友人も居れば会ってみたいし、
再訪意欲は満々の地域・・・viva 会津若松 (^o^)! また行くぜ!(熱)
そして帰宅して数日・・・3号の自由研究の「お城」は未だに完成していない・・・(-_- #)
富士山&熱海温泉旅行(3)復路 そして帰還 [-2012旅行]
東富士五湖道路で富士吉田市街方面へ出るとさらに富士山のシルエットが鮮明になる。
これが、この日のMaxかも・・・合掌。
富士吉田ICで下りたR139沿いでは、
富士急ハイランドのコースター類が見えはじめ、マッツはひとり大興奮。
“ ええじゃないか ” に乗りたい! と子どものように大騒ぎでうるさい。
再び道路は渋滞となりノロノロ・・・その間にも富士山を見上げるが徐々に雲に覆われる。
上宿交差点ではR137、138、139が基点となるようで珍しい。
このような、どーでもよいことに関心が向くのも私だ(^_^)v 通過する瞬間に息を止める!なんて。
当初計画では、昨日の富士山本宮浅間大社と対で参拝すると御利益が倍増するらしい、
北口本宮富士浅間神社へ参拝予定であったが、
折りしの渋滞による時間遅れにより残念ながら泣く泣く中止とした。
鬱蒼たる杉木立に囲まれた厳粛な雰囲気に溢れる参道に、かなり心は揺れたが・・・。
その渋滞を抜けてようやく目的地の、道の駅 富士吉田へ到着だが、
ここはフジ系TVとんねるずの番組にてロケされた駅でもあり、私も放送は見たので愉しみだ。
ペコペコなお腹を満たすべくレストランへ向かうが、ビール主なメニューなので退散。
道の駅側の軽食コーナーへ。
名物の富士吉田うどんを注文しようとしたが、茹でるのに15分を要するとのことで、
富士山カレー大盛り(700円?)なるチープな一品を注文するが、こちらも10分待たされた。
今回の旅では富士山を周遊したので、ここで各自お土産を一気に買いまくるべく店内を物色。
とんねるずの番組で紹介されていた品々も発見したりと買物を堪能だ。
うちの3、4号へはコレだ! 王道ご当地モノ万歳・・・いつもドラえもんとワンピースだが。
さらば富士吉田&富士山・・・また逢う日まで!
今回の旅でよく見かけた「富士山」ナンバーとはお初ゆえに調べてみると、
山梨県・・・富士吉田市、南都留郡富士河口湖町・西桂町・忍野村・山中湖村・鳴沢村・道志村
静岡県・・・富士宮市、富士市、御殿場市、裾野市、駿東郡小山町
県をまたぐ全国初のご当地ナンバーとして発足していたようだ。こんな記事も面白い。
大月を目指しR139を北上するが、チンタラと30km/hで走る地元の軽トラックに先導されて、
やがて都留のリニアモーターカーの実験線を通過する。
現在は試験走行をしておらず見学は不可・・・そんなときも動画で確認できる佳き時代なり。
→ 山梨リニア実験線
やがて岩殿城の奇岩が見えると大月市街だ。
大月駅でケロとお別れで、彼は松本まで電車に揺られる・・・女子高生に悪戯すんなよ!
さて大月ICから中央自動車道へ上がり八王子JCTより圏央道、
鶴ヶ島JCTより関越自動車道で新潟県へ入り、県境の地元まで約400kmの本格的な家路につく。
しかし大月ICより程なく渋滞に巻き込まれてチンタラトロトロと遅々として進まない(号泣&眠)。
富士山界隈は日本有数の観光地であることと、3連休も重なりこのような試練に遭うか。
さて関越自動車道の狭山PAでみんなが一服休憩の時に私は、
Facebookの同地域の友人N氏のお薦めの東松山名物 “ みそだれ ” を購入する。
今回も行く先々の地域でFacebookの友人を意識させられたが、
その友人に地元のレアな紹介などがあれば、積極的に活かしてゆくのもひと味違った愉しみかも。
国境の長いトンネル=関越トンネルを抜けるといよいよ新潟県だ。
先日の坂戸城、雲洞庵の前を再び疾駆するなりけり。
そして22時過ぎに無事に地元へ帰還だ・・・運転手さま 本当にお疲れさまでした!
さて今回の私のお土産品の一部。他に家に菓子数箱。あとは松本城での品々。熱海は皆無。
ちなみにマッツは狭山PAで東京土産のスカイツリーのクッキーみたいなモノを家へ購入していた。
今回は長野、山梨、静岡県が主であり、
東京は通過でわずかにかすめたのみで、東京観光の “ と ” の字も無いのだが・・・。
私は、どうせならば人形焼きをお薦めしたのに・・・そんなテキトーさが愉しいメンバーかな。
つねに賑やかで愉快な仲間であればこそ、充実した時間を過ごすことが出来た。
ありがとう!・・・デェービッド、キム、バラク・マッツ、モー・ケロ、そして・・・マイクゥウ♪
謎の軍団は永遠に(^_^)v (終幕)
これが、この日のMaxかも・・・合掌。
富士吉田ICで下りたR139沿いでは、
富士急ハイランドのコースター類が見えはじめ、マッツはひとり大興奮。
“ ええじゃないか ” に乗りたい! と子どものように大騒ぎでうるさい。
再び道路は渋滞となりノロノロ・・・その間にも富士山を見上げるが徐々に雲に覆われる。
上宿交差点ではR137、138、139が基点となるようで珍しい。
このような、どーでもよいことに関心が向くのも私だ(^_^)v 通過する瞬間に息を止める!なんて。
当初計画では、昨日の富士山本宮浅間大社と対で参拝すると御利益が倍増するらしい、
北口本宮富士浅間神社へ参拝予定であったが、
折りしの渋滞による時間遅れにより残念ながら泣く泣く中止とした。
鬱蒼たる杉木立に囲まれた厳粛な雰囲気に溢れる参道に、かなり心は揺れたが・・・。
その渋滞を抜けてようやく目的地の、道の駅 富士吉田へ到着だが、
ここはフジ系TVとんねるずの番組にてロケされた駅でもあり、私も放送は見たので愉しみだ。
ペコペコなお腹を満たすべくレストランへ向かうが、ビール主なメニューなので退散。
道の駅側の軽食コーナーへ。
名物の富士吉田うどんを注文しようとしたが、茹でるのに15分を要するとのことで、
富士山カレー大盛り(700円?)なるチープな一品を注文するが、こちらも10分待たされた。
今回の旅では富士山を周遊したので、ここで各自お土産を一気に買いまくるべく店内を物色。
とんねるずの番組で紹介されていた品々も発見したりと買物を堪能だ。
うちの3、4号へはコレだ! 王道ご当地モノ万歳・・・いつもドラえもんとワンピースだが。
さらば富士吉田&富士山・・・また逢う日まで!
今回の旅でよく見かけた「富士山」ナンバーとはお初ゆえに調べてみると、
山梨県・・・富士吉田市、南都留郡富士河口湖町・西桂町・忍野村・山中湖村・鳴沢村・道志村
静岡県・・・富士宮市、富士市、御殿場市、裾野市、駿東郡小山町
県をまたぐ全国初のご当地ナンバーとして発足していたようだ。こんな記事も面白い。
大月を目指しR139を北上するが、チンタラと30km/hで走る地元の軽トラックに先導されて、
やがて都留のリニアモーターカーの実験線を通過する。
現在は試験走行をしておらず見学は不可・・・そんなときも動画で確認できる佳き時代なり。
→ 山梨リニア実験線
やがて岩殿城の奇岩が見えると大月市街だ。
大月駅でケロとお別れで、彼は松本まで電車に揺られる・・・女子高生に悪戯すんなよ!
さて大月ICから中央自動車道へ上がり八王子JCTより圏央道、
鶴ヶ島JCTより関越自動車道で新潟県へ入り、県境の地元まで約400kmの本格的な家路につく。
しかし大月ICより程なく渋滞に巻き込まれてチンタラトロトロと遅々として進まない(号泣&眠)。
富士山界隈は日本有数の観光地であることと、3連休も重なりこのような試練に遭うか。
さて関越自動車道の狭山PAでみんなが一服休憩の時に私は、
Facebookの同地域の友人N氏のお薦めの東松山名物 “ みそだれ ” を購入する。
今回も行く先々の地域でFacebookの友人を意識させられたが、
その友人に地元のレアな紹介などがあれば、積極的に活かしてゆくのもひと味違った愉しみかも。
国境の長いトンネル=関越トンネルを抜けるといよいよ新潟県だ。
先日の坂戸城、雲洞庵の前を再び疾駆するなりけり。
そして22時過ぎに無事に地元へ帰還だ・・・運転手さま 本当にお疲れさまでした!
さて今回の私のお土産品の一部。他に家に菓子数箱。あとは松本城での品々。熱海は皆無。
ちなみにマッツは狭山PAで東京土産のスカイツリーのクッキーみたいなモノを家へ購入していた。
今回は長野、山梨、静岡県が主であり、
東京は通過でわずかにかすめたのみで、東京観光の “ と ” の字も無いのだが・・・。
私は、どうせならば人形焼きをお薦めしたのに・・・そんなテキトーさが愉しいメンバーかな。
つねに賑やかで愉快な仲間であればこそ、充実した時間を過ごすことが出来た。
ありがとう!・・・デェービッド、キム、バラク・マッツ、モー・ケロ、そして・・・マイクゥウ♪
謎の軍団は永遠に(^_^)v (終幕)
富士山&熱海温泉旅行(2)復路 見えた富士山! [-2012旅行]
熱海温泉の朝は早い・・・ヤシの木のリゾート雰囲気に呑まれて早朝ランニングへ出撃!
・・・などという元気など皆無な気怠い朝にモーニング缶コーヒーが似合う。
さて、村上の笹川流れのような平地の無い伊豆の海岸線を北上だ。
釣り、海水浴、サーフィンを愉しむ人々・・・ナイスビィィーチ!
やがて小田原市街が視界に入る。
当初計画では昨日の熱海峠側へ山登りし、北上して箱根芦ノ湖を目指す予定であったが、
ケロが箱根駅伝5区山登り区間へ行きたい、との要望を受け入れて小田原へ向かった。
(次図の赤線が当初計画で黄色線が実際の踏破ルート)
しかし小田原出口辺りのR1は渋滞でほとんどクルマは進まず、
箱根湯本温泉までも遥か遠い地点で断念して、箱根新道にて峠を上ることにした。
(私は5年前にドライブしたので、まぁいーか。)
クルマは軽快にぐんぐんと高度を上げるが、さすが天下の険の勾配に改めて驚く。
しかし頂上に近づくにつれて雨が煙りガスも厚く視界不良で右折さえも怖い。
芦ノ湖スカイラインにて右は芦ノ湖、左は富士山を望む絶好のドライブルートなのだが、
大雨と大風で視界は最悪・・・有料道路に金を払って何をしているのか判らん(泣)。
(私は5年前に同じくドライブしたが全く場所の懐古も出来ない(泣々))
峠の狭いトンネルでは厚いガスにより幽霊が出没しそうな、奇怪で幻想的な視界が!
ドライバーもお疲れゆえに峠の茶屋で休憩だが、呑気にフランクフルトを食う輩もいる。
さて雨は御殿場市内に入るも続き、プレミアムアウトレットへ行く人々の多さにも目を奪われる。
軽い渋滞も続くが前方では天候回復の兆しが見え、富士山の稜線も見え始める。
稜線は徐々に切れ上がってゆき興奮気味だ。
首都圏生息時代に計3回ほど麓まで出撃したが、ついぞ間近で雄姿を見ることは叶わなかった。
そんなプチな願いが今回ついに叶うのか!? バフバフと鼻息が荒い私。
トロトロ渋滞の間に、やがて雨はあがり、
東富士五湖道路入口の須走ICのところで全貌のシルエットが想像できるほどになった。
この大気の不安定な時期の午後にここまで確認できれば、御の字=欲は云うまい。満足。
横浜生息時代に船橋の従兄弟と御殿場口より富士山登山をした時が鮮明に蘇る。
砂と砂利で長いコースは、登りは不人気の辛い登山道であったな・・・。
暗闇で約100m転げ落ちたバッグ事件、見知らぬ女性とピッタリ添い寝で眠れぬ夜、
そして感動の御来光と極めた山頂・・・やはり “ 何とか ” は高いところが好き(^_^)v
今回の旅において、私的目的のひとつ「間近で富士山を見る」は叶った。
私はともかく、同行仲間の日頃の行いの良さが成せることと思い感謝する。
小さな喜びがあってこそ、大きな喜びに繋がる=みんな ありがとう! (つづく)
・・・などという元気など皆無な気怠い朝にモーニング缶コーヒーが似合う。
さて、村上の笹川流れのような平地の無い伊豆の海岸線を北上だ。
釣り、海水浴、サーフィンを愉しむ人々・・・ナイスビィィーチ!
やがて小田原市街が視界に入る。
当初計画では昨日の熱海峠側へ山登りし、北上して箱根芦ノ湖を目指す予定であったが、
ケロが箱根駅伝5区山登り区間へ行きたい、との要望を受け入れて小田原へ向かった。
(次図の赤線が当初計画で黄色線が実際の踏破ルート)
しかし小田原出口辺りのR1は渋滞でほとんどクルマは進まず、
箱根湯本温泉までも遥か遠い地点で断念して、箱根新道にて峠を上ることにした。
(私は5年前にドライブしたので、まぁいーか。)
クルマは軽快にぐんぐんと高度を上げるが、さすが天下の険の勾配に改めて驚く。
しかし頂上に近づくにつれて雨が煙りガスも厚く視界不良で右折さえも怖い。
芦ノ湖スカイラインにて右は芦ノ湖、左は富士山を望む絶好のドライブルートなのだが、
大雨と大風で視界は最悪・・・有料道路に金を払って何をしているのか判らん(泣)。
(私は5年前に同じくドライブしたが全く場所の懐古も出来ない(泣々))
峠の狭いトンネルでは厚いガスにより幽霊が出没しそうな、奇怪で幻想的な視界が!
ドライバーもお疲れゆえに峠の茶屋で休憩だが、呑気にフランクフルトを食う輩もいる。
さて雨は御殿場市内に入るも続き、プレミアムアウトレットへ行く人々の多さにも目を奪われる。
軽い渋滞も続くが前方では天候回復の兆しが見え、富士山の稜線も見え始める。
稜線は徐々に切れ上がってゆき興奮気味だ。
首都圏生息時代に計3回ほど麓まで出撃したが、ついぞ間近で雄姿を見ることは叶わなかった。
そんなプチな願いが今回ついに叶うのか!? バフバフと鼻息が荒い私。
トロトロ渋滞の間に、やがて雨はあがり、
東富士五湖道路入口の須走ICのところで全貌のシルエットが想像できるほどになった。
この大気の不安定な時期の午後にここまで確認できれば、御の字=欲は云うまい。満足。
横浜生息時代に船橋の従兄弟と御殿場口より富士山登山をした時が鮮明に蘇る。
砂と砂利で長いコースは、登りは不人気の辛い登山道であったな・・・。
暗闇で約100m転げ落ちたバッグ事件、見知らぬ女性とピッタリ添い寝で眠れぬ夜、
そして感動の御来光と極めた山頂・・・やはり “ 何とか ” は高いところが好き(^_^)v
今回の旅において、私的目的のひとつ「間近で富士山を見る」は叶った。
私はともかく、同行仲間の日頃の行いの良さが成せることと思い感謝する。
小さな喜びがあってこそ、大きな喜びに繋がる=みんな ありがとう! (つづく)
富士山&熱海温泉旅行(1)往路 [-2012旅行]
この私が旅行プロデュースなれば、行ってみたいな国宝松本城。
4年ぶりに謎の軍団で旅に出かけるが、みんなで宿泊地のみを熱海温泉に決定し、
あとは永久幹事の私にお任せなので、必然的に私の趣味が反映されるしくみだ。
熱海温泉へ行くのならば、
関越自動車道で八王子まで猛進し、小田原経由が素直なルートだが、
メンバーのひとり “ ケロ ” が長野県飯田に生息しているので、
上越経由の合流場所として松本としたのだ。
さて合流予定の松本ICに予定通りピッタリと10:30に到着するが・・・
何と! 近いはずのケロが、しっかりと20分遅刻して来やがった!
先輩方を待たせて集合時間に遅れるとはサイテーなヤツだ → こいつのように。
後述するが、結果的にこの20分もつくづく惜しい事態になろうとは・・・。
ケロは松本駅西口にクルマを駐車し合流し、連休混雑の市内をすり抜けて松本城へ向かう。
城が大混雑なのは国宝観光地なるか、3連休初日の影響なるか、何れもあろう。
旅行情報誌『るるぶ』で見た、人気お土産をしっかりゲットするも旅の愉しみだ。
詳細記事はこちら → オレの城!・・・松本城
昼食は松本城の見える店で信州そばを堪能だが、とろろで精をつける猛獣たち。Why?
再び松本ICより長野自動車道へあがり中央自動車道で甲府南ICを目指す。
諏訪湖から延々と下る勾配に、マダムたちの生息地が高原避暑地であることを改めて実感する。
そして、さらに旅の愉しみのひとつ。
先々のパーキング等で300円程度の串モノを物色することで、
日頃の質素倹約から解放されて、非日常の小さな贅沢を味わっているとも云える。
甲府南ICより下りて、急進な峠を越えてやがて富士五湖の精進湖へ至る。
「昔、この辺はカノジョとデートしたよなぁ~♪」と密かに哀愁回顧する輩は若干2名。
オウム事件で懐かしい上九一色地区を抜けて富士山西側を南進して富士宮を目指す。
朝霧高原では、まだ15時半前にも関わらず濃い靄に覆われて視界不良な異空間風情。
やがて白糸の滝へ到着するが、計画時間が怪しくなっていたことと、
駐車場での、ごった返す人の多さに辟易してしまい、満場一致で観光中止!
気心の知れた仲間ゆえのフットワークの軽さもヨシ・・・心の目で白糸の滝は観たことにしよう。
富士宮市内中心部に近づけば、進行方向左後方に富士山が見えるはずだが、
あいかわらず厚いガスに覆われていて雄姿を確認することが出来ない。
そして市内ホントの中心部に駿河国一之宮 富士山本宮浅間大社がある。
慣れぬ地にて駐車場を探し、商店街などを彷徨うプチ観光が、さり気なく好きな私だ。
霊峰富士山より発せられる気により、ここは正真正銘のパワースポットなり。
日頃の悪行三昧を改めて、善行に精進することを誓う姿は、いとおかし。
何を今後に期待しているのやら・・・その胸中は判りやすい。
詳細記事はこちら → オレの神社!・・・富士山本宮浅間大社
さて、後は熱海温泉へ突進するのみだが、約40kmなれば楽勝と楽観視していた私の痛恨のミス。
沼津ICよりR1、R136を通る、わずか5、6km区間で、
大渋滞に巻き込まれてしまい、1時間半弱の時間を要してしまった。
千本松原辺りのR1等は隘路ゆえに混雑は事前に予測できたので、
カーナビも示すとおり東名自動車道の富士ICより沼津ICを利用までは良かったのだが・・・。
改めて地図に目を通すと、沼津、三島市街を大きく迂回する道路の計画中(実際は建設中)
なことが判る(次写真黄色線)。・・・これはただ地図を見ただけ。
その意味することは、西方静岡側、北方御殿場側から、
伊豆長岡、修善寺温泉等へ南下するには、市内は渋滞混雑する。
ゆえに解決策として迂回道路を計画しているのだ。・・・と、これが地図を読むということ。
事前計画で地図の読みが足りず、渋滞混雑の予想に気付けなかったのは私のミスだ (-_-)
結果的に宿泊ホテルへの到着は大幅に遅れたし、メンバーへも忙しくさせてしまった <(_ _)>
ようやく渋滞混雑を抜けてクルマは爆走し、熱海峠を越えてから温泉街へ向けて、
急な山裾の下りウェービングロードの連続でサスとタイヤは咆哮の悲鳴をあげる。
結局宿泊ホテルへの到着は1時間遅れとなり、みなさまスミマセン m(_ _)m
ドライバーさま お疲れさま&ありがとうございました m(_ _)m
早朝からの長旅疲れと最後のミスに、
今宵の熱海の酒の酔い廻りは早すぎる・・・ぐるぐるぐるぐるグルコサミン♪
泥酔で意識半分であったが、あんな歌やこんな曲、あれとこれも流れていたような記憶が・・・。
不夜城よろしく妖しい熱海の夜はふけてゆく・・・よい子は22時就寝よ♪ (つづく)
4年ぶりに謎の軍団で旅に出かけるが、みんなで宿泊地のみを熱海温泉に決定し、
あとは永久幹事の私にお任せなので、必然的に私の趣味が反映されるしくみだ。
熱海温泉へ行くのならば、
関越自動車道で八王子まで猛進し、小田原経由が素直なルートだが、
メンバーのひとり “ ケロ ” が長野県飯田に生息しているので、
上越経由の合流場所として松本としたのだ。
さて合流予定の松本ICに予定通りピッタリと10:30に到着するが・・・
何と! 近いはずのケロが、しっかりと20分遅刻して来やがった!
先輩方を待たせて集合時間に遅れるとはサイテーなヤツだ → こいつのように。
後述するが、結果的にこの20分もつくづく惜しい事態になろうとは・・・。
ケロは松本駅西口にクルマを駐車し合流し、連休混雑の市内をすり抜けて松本城へ向かう。
城が大混雑なのは国宝観光地なるか、3連休初日の影響なるか、何れもあろう。
旅行情報誌『るるぶ』で見た、人気お土産をしっかりゲットするも旅の愉しみだ。
詳細記事はこちら → オレの城!・・・松本城
昼食は松本城の見える店で信州そばを堪能だが、とろろで精をつける猛獣たち。Why?
再び松本ICより長野自動車道へあがり中央自動車道で甲府南ICを目指す。
諏訪湖から延々と下る勾配に、マダムたちの生息地が高原避暑地であることを改めて実感する。
そして、さらに旅の愉しみのひとつ。
先々のパーキング等で300円程度の串モノを物色することで、
日頃の質素倹約から解放されて、非日常の小さな贅沢を味わっているとも云える。
甲府南ICより下りて、急進な峠を越えてやがて富士五湖の精進湖へ至る。
「昔、この辺はカノジョとデートしたよなぁ~♪」と密かに哀愁回顧する輩は若干2名。
オウム事件で懐かしい上九一色地区を抜けて富士山西側を南進して富士宮を目指す。
朝霧高原では、まだ15時半前にも関わらず濃い靄に覆われて視界不良な異空間風情。
やがて白糸の滝へ到着するが、計画時間が怪しくなっていたことと、
駐車場での、ごった返す人の多さに辟易してしまい、満場一致で観光中止!
気心の知れた仲間ゆえのフットワークの軽さもヨシ・・・心の目で白糸の滝は観たことにしよう。
富士宮市内中心部に近づけば、進行方向左後方に富士山が見えるはずだが、
あいかわらず厚いガスに覆われていて雄姿を確認することが出来ない。
そして市内ホントの中心部に駿河国一之宮 富士山本宮浅間大社がある。
慣れぬ地にて駐車場を探し、商店街などを彷徨うプチ観光が、さり気なく好きな私だ。
霊峰富士山より発せられる気により、ここは正真正銘のパワースポットなり。
日頃の悪行三昧を改めて、善行に精進することを誓う姿は、いとおかし。
何を今後に期待しているのやら・・・その胸中は判りやすい。
詳細記事はこちら → オレの神社!・・・富士山本宮浅間大社
さて、後は熱海温泉へ突進するのみだが、約40kmなれば楽勝と楽観視していた私の痛恨のミス。
沼津ICよりR1、R136を通る、わずか5、6km区間で、
大渋滞に巻き込まれてしまい、1時間半弱の時間を要してしまった。
千本松原辺りのR1等は隘路ゆえに混雑は事前に予測できたので、
カーナビも示すとおり東名自動車道の富士ICより沼津ICを利用までは良かったのだが・・・。
改めて地図に目を通すと、沼津、三島市街を大きく迂回する道路の計画中(実際は建設中)
なことが判る(次写真黄色線)。・・・これはただ地図を見ただけ。
その意味することは、西方静岡側、北方御殿場側から、
伊豆長岡、修善寺温泉等へ南下するには、市内は渋滞混雑する。
ゆえに解決策として迂回道路を計画しているのだ。・・・と、これが地図を読むということ。
事前計画で地図の読みが足りず、渋滞混雑の予想に気付けなかったのは私のミスだ (-_-)
結果的に宿泊ホテルへの到着は大幅に遅れたし、メンバーへも忙しくさせてしまった <(_ _)>
ようやく渋滞混雑を抜けてクルマは爆走し、熱海峠を越えてから温泉街へ向けて、
急な山裾の下りウェービングロードの連続でサスとタイヤは咆哮の悲鳴をあげる。
結局宿泊ホテルへの到着は1時間遅れとなり、みなさまスミマセン m(_ _)m
ドライバーさま お疲れさま&ありがとうございました m(_ _)m
早朝からの長旅疲れと最後のミスに、
今宵の熱海の酒の酔い廻りは早すぎる・・・ぐるぐるぐるぐるグルコサミン♪
泥酔で意識半分であったが、あんな歌やこんな曲、あれとこれも流れていたような記憶が・・・。
不夜城よろしく妖しい熱海の夜はふけてゆく・・・よい子は22時就寝よ♪ (つづく)
古峯神社参拝の旅2012 (その弐) [-2012旅行]
(寝る前まで)お前は ずうぅ~っと しゃべっていたな! (=うるさかった模様)
朝の失態も夜の宴会場での懺悔行脚にて、徐々に気持ちは回復傾向となり、
部屋に戻っての飲み直しでは、いつもの調子のヨイヨイ♪ 自分に戻ってしまっていたらしい・・・。
翌朝起床すると同室の方にドスンと冒頭のボディーブローをくらう。
では飲み過ぎで浮腫んだ顔の手直しと、うるさかった禊ぎをするために温泉へ向かいますか・・・。
若干胸焼け気味だがバイキング朝食で、今日も針のむしろの闘いに備える。
外はうっすらと雪化粧をし気温が低く鼻の穴がヒクヒクとする寒さだが、
ただ寒いだけで、雪国の朝の除雪作業などは無いので楽なものだと思ってしまう。
事実、前朝は3時に起床して除雪作業をしてから、この旅行へ出掛けて来られた方もいる。
(私も5時に起床してササッと玄関の作業をしたが、終わった頃に既にみんなはバスの中で・・・)
眩しい陽差しと雪景色に囲まれて、垂涎憧れの日光東照宮、いろは坂などには横目もくれず、
R122にて足尾銅山わきをすり抜けて草木ダムほとりの富弘美術館へ向かう。
実は4年前も、この参拝ツアーで立ち寄ったので、まさか再訪するとは感慨深いかも。
一応どこでも見学後のバス出発=集合時間が事前に示されているが、
団体ツアーゆえに中には全く興味が無く、ものの数分でバスに戻る極端な方がいたりして、
そんな傾向の人が多いと、時間10分前にバスに戻っても、既にみんな戻っていたりして、
必然的にみんなを待たせて申し訳ない気持ちになってしまう。
(ま、私は悪夢の前科一犯なので、ピリピリと神経質に為らざるをえないのだが・・・)
まったく団体行動は疲れるし、こんな一面もバスツアーが嫌いな一因とも云えるかな?
ここから赤城山の南東から東北へ、狭くクネクネと厳しい山の中を抜け北西の沼田市へ向かう。
このような特に観光資源の無い道、地域をドライブすることは嫌いではない。
・地理が好きなので景色を眺め愉しむはもちろん、地形を「読む」など・・・
・突然現れた山中の集落の生活を想像してみたり・・・
・その後に現れた廃校らしき学校へ、
その集落の子どもたちも、かつては通ったのか、などと、どうでもよいことを想像してみたり・・・
・かつて仲間たちと日光観光の後に草津温泉へ向かう途中に通った道に出くわして、
吹割の滝や峠の眺望の良さを思い出したりして回想にひたり・・・などなど。
さらに、それらを帰宅後にPCのGoogle earthで見てみたりなど、倍愉しんでもいる。
(このような図を作成することも、サラリーマン時代の資料作成のようで懐かしく愉しいものだ)
沼田市のIC近くの観光農園の原田農園にて昼食だが続々と観光バスが来る繁盛ぶりに驚く。
しかし残念なことに建物周囲がドブ臭くて気分が良くない。
排水路が詰まっているのかな? こんな印象を持ち良いのだろうか?
鍋はきのこ鍋で主役無き精進料理風情の献立ゆえにパラダイムチェンジしなくては・・・。
続いて沼田市中心部より北東部の川場村の誉國光(ほまれこっこう)酒蔵へ。
辛口で旨いが、う~む、私の口には合わなかったようだ。
名物大吟醸ソフトクリーム300円でご勘弁を・・・震えて食べるは武者震い也。ちびるゾ。
実はここ川場村にはFacebookの友達で稲作農家のKさんがいる。
こんなツアーなので実際にお会いする時間は無いが、事前に訪問メールを送信しておいた。
気持ちだけでもお近づきに、と不思議な感覚が、この時代の為せること。
いつか本当にお会いする日を愉しみにして、雪の川場村を後にする。さらばです!
ところで、通算3回目の沼田訪問(通過)だが(高速道通過は外す)、
以前からこの地形は気になっていた=沼田市街地が台形地形の上なので面白い。
次の図で、特に下左右の黄色丸部の、つづら折りの道路で台形地形が確認できると思う。
いつか、俺の城!氏・マダム夫妻と沼田の地で再会しようぞ!と誓っているここは、
戦国時代は関東北部の戦略上の重要拠点で、真田の町としても有名である。
沼田城跡、対岸の名胡桃城跡などを訪問して歴史浪漫に浸りたい文化人の血が騒ぐ。
かつて真田昌幸、信幸、幸村が踏んだ、この大地を私も・・・くうっ!たまんねぇぜ。
と妄想に下半身を膨らませて・・・ん?、夢を膨らませて沼田ICより新潟県へ向かう。
全長約11kmの関越トンネルを越えると名作『雪国』どおりの凄まじい雪景色となり、
一気に地元帰郷のような現実へ引き戻されるような気がする。
死んだふりして見ないようにしよう・・・。
長岡市より徐々に雪が少なくなり新潟市は青空を望むことができる。
最後の訪問は信濃川河口の朱鷺メッセのたもとのピアBandai なる食市場だ。
野菜売り場では生産者の顔写真掲示で、ここでもFacebookの友達を見かける。
私は何も買わず、コロッケと串カツで空いた小腹を満たすのみ。さっさと帰るぞ!
古峯神社参拝後は特に観光とは言い難い、買い物主体のようなツアーであったが、
・似たような店が乱立する中で繁盛の差は何か?
・興味が薄く何となく連れられてきた客の財布の紐を緩くする工夫は何か?
・リピーターの確保はどうなのか?
などと視点を変えて臨むと案外面白い発見などがあり勉強になったかも。
荒川胎内ICよりR113に入ると俄然積雪量が多くなり故郷の哀愁が漂う。帰ってきたのだ。
夕闇の19時前に猛吹雪の小国町内に入り、参加者が徐々にバスより降りる。
私も近所の公園で降ろして貰うが、ひとこと・・・
「昨日の朝は遅刻してすみませんでした。 ・・・(中略)・・・ ではお先に失礼します!」
と最後の挨拶をすると、みなさんより優しい言葉をいただく。
ありがたい思いで救われる感を抱きつつ、バスを下りて見送ると一気に安堵感にも包まれる。
最悪のオープニングもあるが、やはりバス旅行は疲れたので解放されたとも思った瞬間・・・!
あ、バスに傘を忘れた! (やっぱダメじゃんオレ トホホ・・・(泣))
朝の失態も夜の宴会場での懺悔行脚にて、徐々に気持ちは回復傾向となり、
部屋に戻っての飲み直しでは、いつもの調子のヨイヨイ♪ 自分に戻ってしまっていたらしい・・・。
翌朝起床すると同室の方にドスンと冒頭のボディーブローをくらう。
では飲み過ぎで浮腫んだ顔の手直しと、うるさかった禊ぎをするために温泉へ向かいますか・・・。
若干胸焼け気味だがバイキング朝食で、今日も針のむしろの闘いに備える。
外はうっすらと雪化粧をし気温が低く鼻の穴がヒクヒクとする寒さだが、
ただ寒いだけで、雪国の朝の除雪作業などは無いので楽なものだと思ってしまう。
事実、前朝は3時に起床して除雪作業をしてから、この旅行へ出掛けて来られた方もいる。
(私も5時に起床してササッと玄関の作業をしたが、終わった頃に既にみんなはバスの中で・・・)
眩しい陽差しと雪景色に囲まれて、垂涎憧れの日光東照宮、いろは坂などには横目もくれず、
R122にて足尾銅山わきをすり抜けて草木ダムほとりの富弘美術館へ向かう。
実は4年前も、この参拝ツアーで立ち寄ったので、まさか再訪するとは感慨深いかも。
一応どこでも見学後のバス出発=集合時間が事前に示されているが、
団体ツアーゆえに中には全く興味が無く、ものの数分でバスに戻る極端な方がいたりして、
そんな傾向の人が多いと、時間10分前にバスに戻っても、既にみんな戻っていたりして、
必然的にみんなを待たせて申し訳ない気持ちになってしまう。
(ま、私は悪夢の前科一犯なので、ピリピリと神経質に為らざるをえないのだが・・・)
まったく団体行動は疲れるし、こんな一面もバスツアーが嫌いな一因とも云えるかな?
ここから赤城山の南東から東北へ、狭くクネクネと厳しい山の中を抜け北西の沼田市へ向かう。
このような特に観光資源の無い道、地域をドライブすることは嫌いではない。
・地理が好きなので景色を眺め愉しむはもちろん、地形を「読む」など・・・
・突然現れた山中の集落の生活を想像してみたり・・・
・その後に現れた廃校らしき学校へ、
その集落の子どもたちも、かつては通ったのか、などと、どうでもよいことを想像してみたり・・・
・かつて仲間たちと日光観光の後に草津温泉へ向かう途中に通った道に出くわして、
吹割の滝や峠の眺望の良さを思い出したりして回想にひたり・・・などなど。
さらに、それらを帰宅後にPCのGoogle earthで見てみたりなど、倍愉しんでもいる。
(このような図を作成することも、サラリーマン時代の資料作成のようで懐かしく愉しいものだ)
沼田市のIC近くの観光農園の原田農園にて昼食だが続々と観光バスが来る繁盛ぶりに驚く。
しかし残念なことに建物周囲がドブ臭くて気分が良くない。
排水路が詰まっているのかな? こんな印象を持ち良いのだろうか?
鍋はきのこ鍋で主役無き精進料理風情の献立ゆえにパラダイムチェンジしなくては・・・。
続いて沼田市中心部より北東部の川場村の誉國光(ほまれこっこう)酒蔵へ。
辛口で旨いが、う~む、私の口には合わなかったようだ。
名物大吟醸ソフトクリーム300円でご勘弁を・・・震えて食べるは武者震い也。ちびるゾ。
実はここ川場村にはFacebookの友達で稲作農家のKさんがいる。
こんなツアーなので実際にお会いする時間は無いが、事前に訪問メールを送信しておいた。
気持ちだけでもお近づきに、と不思議な感覚が、この時代の為せること。
いつか本当にお会いする日を愉しみにして、雪の川場村を後にする。さらばです!
ところで、通算3回目の沼田訪問(通過)だが(高速道通過は外す)、
以前からこの地形は気になっていた=沼田市街地が台形地形の上なので面白い。
次の図で、特に下左右の黄色丸部の、つづら折りの道路で台形地形が確認できると思う。
いつか、俺の城!氏・マダム夫妻と沼田の地で再会しようぞ!と誓っているここは、
戦国時代は関東北部の戦略上の重要拠点で、真田の町としても有名である。
沼田城跡、対岸の名胡桃城跡などを訪問して歴史浪漫に浸りたい文化人の血が騒ぐ。
かつて真田昌幸、信幸、幸村が踏んだ、この大地を私も・・・くうっ!たまんねぇぜ。
と妄想に下半身を膨らませて・・・ん?、夢を膨らませて沼田ICより新潟県へ向かう。
全長約11kmの関越トンネルを越えると名作『雪国』どおりの凄まじい雪景色となり、
一気に地元帰郷のような現実へ引き戻されるような気がする。
死んだふりして見ないようにしよう・・・。
長岡市より徐々に雪が少なくなり新潟市は青空を望むことができる。
最後の訪問は信濃川河口の朱鷺メッセのたもとのピアBandai なる食市場だ。
野菜売り場では生産者の顔写真掲示で、ここでもFacebookの友達を見かける。
私は何も買わず、コロッケと串カツで空いた小腹を満たすのみ。さっさと帰るぞ!
古峯神社参拝後は特に観光とは言い難い、買い物主体のようなツアーであったが、
・似たような店が乱立する中で繁盛の差は何か?
・興味が薄く何となく連れられてきた客の財布の紐を緩くする工夫は何か?
・リピーターの確保はどうなのか?
などと視点を変えて臨むと案外面白い発見などがあり勉強になったかも。
荒川胎内ICよりR113に入ると俄然積雪量が多くなり故郷の哀愁が漂う。帰ってきたのだ。
夕闇の19時前に猛吹雪の小国町内に入り、参加者が徐々にバスより降りる。
私も近所の公園で降ろして貰うが、ひとこと・・・
「昨日の朝は遅刻してすみませんでした。 ・・・(中略)・・・ ではお先に失礼します!」
と最後の挨拶をすると、みなさんより優しい言葉をいただく。
ありがたい思いで救われる感を抱きつつ、バスを下りて見送ると一気に安堵感にも包まれる。
最悪のオープニングもあるが、やはりバス旅行は疲れたので解放されたとも思った瞬間・・・!
あ、バスに傘を忘れた! (やっぱダメじゃんオレ トホホ・・・(泣))
古峯神社参拝の旅2012 (その壱) [-2012旅行]
さんざん人を待たせておいて、来たと思えばノコノコとコンビニなどに寄り、
いよいよ乗車すれば、お詫びの言葉ひとつもないとは、なんという非常識なヤツだ!
先週末は、栃木県鹿沼市古峯ヶ原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社参拝へ、
父親の代理で参加してきたが、
他の参加者の心中を知るよしもなく、早朝の雪深い町内から東北自動車道を目指しバスは走る。
毎年この時期に小国町内の各地区の代表者(地区により2~4人)と個人参加者により、
山交観光の参拝バスツアーが開催されている。
地区の代表者は周り番が多いようで、実家地区は4年周期程度で廻ってくるようだ。
実は4・5年前にも参加したが、比較して参加者は2/3程度と、年々減少しているのも時勢を感じる。
福島県を抜けるまでほとんど雪景色で、栃木県の那須からは陽差しが眩しい。
鹿沼ICより約1時間弱の11時前に古峯神社へ到着して、何とか祈祷時間に間に合った。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・古峰神社
帰郷後は、実家地区の他の会員へ、祈祷御札とお土産の箸を手分けして配ることになる。
神社門前で昼食をとれば大役は終了で気分はお気楽な旅行モードとなるが、
どうも、朝から様子がおかしいような気がする・・・。
そこで事前配布の案内書をカバンより取り出して、朝の集合時間を確認すると・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・な・・・に?
ファミリーマートでの集合時間は5時30分となっている!
ガーン! 私は6時のつもりでいたので5時50分頃に最後として到着!
参加者は自分の親のような年齢の方々がほとんどなのに、
遅刻=バスの中で約20分は待たせていたことを、この時初めて認識したのだ! あわわわ
なぜ5時30分を6時と勘違いしたのかは不明だが、
バス乗り込み時も、その後約6時間においても、誰も私を咎めなかったことが、ことさらに怖く、
心臓バクバク 気分は急降下
みなさんへの申し訳なさと、勘違いしていた自分の情けなさに脱力感倍増
古峯神社から今市市へ山中を移動する約40分間は死んだように懺悔するのみ・・・
やがて今市市に到着し、日光おかき工房での煎餅売りつけ戦略にハマる訳もなく、
日光ろばたづけ本舗では漬物など買わず(今夜の部屋呑み肴のチーズは買ったけど)、
日光花いちもんめでの色鮮やかなベゴニアも、心の目ではモノクロにしか見えん。
池に飛び込んで禊ぎしたい気分だ・・・。
巨大なベゴニアタワーへショルダータックルかロケットキックで暴れたい気分だ・・・。
そんな錯乱状態ゆえか、大谷石の200円の小花鉢を1個買ってしまった。
(その辺に転がっているブロックくずを簡単に加工するとできそうな・・・)
そんな乾いたフラフラな気分で16時過ぎには宿泊場所の鬼怒川温泉へ到着。
眼下の鬼怒川を望む眺望の良い部屋でも・・・あ~あ
宴会開始18時まで時間は有り余っているので、気晴らしに温泉街へ散策に出てみる。
部屋から見えた橋の上より、逆に宿泊ホテルの部屋や浴場位置を確認してみたりして。
対岸をぐるりと周り、もうひとつの橋のたものには、無料の足湯があった。
お湯につかる短い時間に3組の若いカップルが入れ替わりやってくる。
イチャつく会話に、ブルー気分な私は軽くイラッと感じてしまったりして・・・心の余裕度ゼロ。
夕暮れの冷たい風が、寒い私の心を吹き抜ける・・・ひゅゅゅゅぅぅぅぅぅうううううう
ホテルの源泉掛け流し100%のお湯につかり、宴会前の気持ちをビールで軽くアイドリング。
そして宴会では冒頭の似たような台詞を何回も耳にして、
ひたすら平身低頭でみなさんへ謝るので、
アイドリングストップよろしくボルテージは一向に上がらず、エコな気分のままであった
日常から子どもたちには、挨拶の徹底と同様に、
「時間に遅れるな! 他人に迷惑を掛けるのはサイテーだ!」などと説教しているのに。
ここでも恩師の言葉が脳裏に蘇る・・・
お前はしっかりしてるが、どこか抜けている! (つづく)
いよいよ乗車すれば、お詫びの言葉ひとつもないとは、なんという非常識なヤツだ!
先週末は、栃木県鹿沼市古峯ヶ原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社参拝へ、
父親の代理で参加してきたが、
他の参加者の心中を知るよしもなく、早朝の雪深い町内から東北自動車道を目指しバスは走る。
毎年この時期に小国町内の各地区の代表者(地区により2~4人)と個人参加者により、
山交観光の参拝バスツアーが開催されている。
地区の代表者は周り番が多いようで、実家地区は4年周期程度で廻ってくるようだ。
実は4・5年前にも参加したが、比較して参加者は2/3程度と、年々減少しているのも時勢を感じる。
福島県を抜けるまでほとんど雪景色で、栃木県の那須からは陽差しが眩しい。
鹿沼ICより約1時間弱の11時前に古峯神社へ到着して、何とか祈祷時間に間に合った。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・古峰神社
帰郷後は、実家地区の他の会員へ、祈祷御札とお土産の箸を手分けして配ることになる。
神社門前で昼食をとれば大役は終了で気分はお気楽な旅行モードとなるが、
どうも、朝から様子がおかしいような気がする・・・。
そこで事前配布の案内書をカバンより取り出して、朝の集合時間を確認すると・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・な・・・に?
ファミリーマートでの集合時間は5時30分となっている!
ガーン! 私は6時のつもりでいたので5時50分頃に最後として到着!
参加者は自分の親のような年齢の方々がほとんどなのに、
遅刻=バスの中で約20分は待たせていたことを、この時初めて認識したのだ! あわわわ
なぜ5時30分を6時と勘違いしたのかは不明だが、
バス乗り込み時も、その後約6時間においても、誰も私を咎めなかったことが、ことさらに怖く、
心臓バクバク 気分は急降下
みなさんへの申し訳なさと、勘違いしていた自分の情けなさに脱力感倍増
古峯神社から今市市へ山中を移動する約40分間は死んだように懺悔するのみ・・・
やがて今市市に到着し、日光おかき工房での煎餅売りつけ戦略にハマる訳もなく、
日光ろばたづけ本舗では漬物など買わず(今夜の部屋呑み肴のチーズは買ったけど)、
日光花いちもんめでの色鮮やかなベゴニアも、心の目ではモノクロにしか見えん。
池に飛び込んで禊ぎしたい気分だ・・・。
巨大なベゴニアタワーへショルダータックルかロケットキックで暴れたい気分だ・・・。
そんな錯乱状態ゆえか、大谷石の200円の小花鉢を1個買ってしまった。
(その辺に転がっているブロックくずを簡単に加工するとできそうな・・・)
そんな乾いたフラフラな気分で16時過ぎには宿泊場所の鬼怒川温泉へ到着。
眼下の鬼怒川を望む眺望の良い部屋でも・・・あ~あ
宴会開始18時まで時間は有り余っているので、気晴らしに温泉街へ散策に出てみる。
部屋から見えた橋の上より、逆に宿泊ホテルの部屋や浴場位置を確認してみたりして。
対岸をぐるりと周り、もうひとつの橋のたものには、無料の足湯があった。
お湯につかる短い時間に3組の若いカップルが入れ替わりやってくる。
イチャつく会話に、ブルー気分な私は軽くイラッと感じてしまったりして・・・心の余裕度ゼロ。
夕暮れの冷たい風が、寒い私の心を吹き抜ける・・・ひゅゅゅゅぅぅぅぅぅうううううう
ホテルの源泉掛け流し100%のお湯につかり、宴会前の気持ちをビールで軽くアイドリング。
そして宴会では冒頭の似たような台詞を何回も耳にして、
ひたすら平身低頭でみなさんへ謝るので、
アイドリングストップよろしくボルテージは一向に上がらず、エコな気分のままであった
日常から子どもたちには、挨拶の徹底と同様に、
「時間に遅れるな! 他人に迷惑を掛けるのはサイテーだ!」などと説教しているのに。
ここでも恩師の言葉が脳裏に蘇る・・・
お前はしっかりしてるが、どこか抜けている! (つづく)
東京忘年会の旅2011 (その参) [-2012旅行]
久しぶりの都会の喧噪、人混みと駅の階段に軽い疲労を感じつつも元気よく最終日。
最初にラーメン二郎の聖地 三田本店へ出撃=総本山訪問無くして語るべからず!
ここのラーメンに魅せられて多くの弟子が暖簾分けして一大勢力となったのだ。
しかし場所と定休日と営業時間の短さにより、田舎上京のついで寄りには難しい店だ。
(tamaくん、君は甘いね、フフ)
その後はオッさんには縁遠いはずのチャラチャラ度日本一の原宿へ、
二郎のにんにく臭を漂わせて殴り込み=オークリーやアディダスのショップなどで買い物だ。
今回の私は、実は今までジャージを持っていなかったのでソレと帽子と手袋を経済活動。
(今後は豪雪で閉じ込められるので着用は春になろうがモチベーション維持の武器だ)
無事に買い物を済ませてブラつくと東郷神社を発見したので突進してみる。
相棒は今年は “ 日が悪い ” ので社をくぐることは避けているので、
怪しい行動よろしく窮屈に変なルート、歩き方となる・・・無理に付き合って貰って申し訳ない。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・東郷神社
そして一度は訪問してみたかった明治神宮を目指して移動するが、
不本意ながら竹下通りに出てしまい、女子中高生の大海原で危うく溺れるところであった。
全く前へ進まず、イライラする永遠とも思える長い時間で気力ゲージは一気にダウン↓
そんな難所を乗り越えて、相棒には再び禁断の神社へも付き合って貰った=感謝感謝だ。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・明治神宮
その後クルマを駐車していた大宮駅前へ戻り、心地良い充実した3日間の疲労を感じつつ、
岩槻ICより、いよいよ東北自動車道で帰路につく。
さらば東京!
今年もよい忘年会をありがとう!
と、終わる雰囲気だが、実はしつこく栃木県壬生のラーメン二郎へ立ち寄ってみることにした。
三田本店で有終の美もソレはソレ、機会があればとことん追求する姿勢に自己陶酔 ♪
東北道より北関東道へ少し入るのみで大した時間は掛からない、と思ったのだが・・・。
実は相棒のクルマのナビがとんでもない住宅地の狭い路地へ誘導し、彷徨うこと15分↓
あと500mとなってから見知らぬ夜の市街地を走らされて運転の私は凄く疲れてしまった↓
(ま、自分が行くぞ!と誘ったので文句は言えないけど)
肝心の店は待ち時間が長く、残念なことにラーメン自体も今ひとつであった↓
最後の最後にケツバットをくらったような衝撃に疲労度は一気に倍萬と化す・・・ほへぇ↓
今回訪問したラーメン二郎全5店舗の記事は後日趣味ブログで一気に公開予定。
東北道を4月に通ったときは地震の痕の段差を感じた那須以北の路面は修復されたようだ。
二本松市付近で雪が舞い始め、福島市ではそれなりに、
県境の栗子峠では路面も見事に圧雪の大雪となり、地元は別世界の豪雪模様がお出迎え。
何とか無事に帰宅=これで本当に充実した忘年会旅行が終わったというものだ。
年の決算として臨んだ秋仕事、冷たい風と雨の初冬作業、
何れもこの愉しみが控えていたからこそ励むことができた、ご褒美イベント。
誘ってくれた相棒に感謝=合掌。チーン♪
さて、いよいよ本格的に豪雪との闘いの日々となりまする。 冬眠したい・・・ (完)
最初にラーメン二郎の聖地 三田本店へ出撃=総本山訪問無くして語るべからず!
ここのラーメンに魅せられて多くの弟子が暖簾分けして一大勢力となったのだ。
しかし場所と定休日と営業時間の短さにより、田舎上京のついで寄りには難しい店だ。
(tamaくん、君は甘いね、フフ)
その後はオッさんには縁遠いはずのチャラチャラ度日本一の原宿へ、
二郎のにんにく臭を漂わせて殴り込み=オークリーやアディダスのショップなどで買い物だ。
今回の私は、実は今までジャージを持っていなかったのでソレと帽子と手袋を経済活動。
(今後は豪雪で閉じ込められるので着用は春になろうがモチベーション維持の武器だ)
無事に買い物を済ませてブラつくと東郷神社を発見したので突進してみる。
相棒は今年は “ 日が悪い ” ので社をくぐることは避けているので、
怪しい行動よろしく窮屈に変なルート、歩き方となる・・・無理に付き合って貰って申し訳ない。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・東郷神社
そして一度は訪問してみたかった明治神宮を目指して移動するが、
不本意ながら竹下通りに出てしまい、女子中高生の大海原で危うく溺れるところであった。
全く前へ進まず、イライラする永遠とも思える長い時間で気力ゲージは一気にダウン↓
そんな難所を乗り越えて、相棒には再び禁断の神社へも付き合って貰った=感謝感謝だ。
別写真記事はこちら! → オレの神社!・・・明治神宮
その後クルマを駐車していた大宮駅前へ戻り、心地良い充実した3日間の疲労を感じつつ、
岩槻ICより、いよいよ東北自動車道で帰路につく。
さらば東京!
今年もよい忘年会をありがとう!
と、終わる雰囲気だが、実はしつこく栃木県壬生のラーメン二郎へ立ち寄ってみることにした。
三田本店で有終の美もソレはソレ、機会があればとことん追求する姿勢に自己陶酔 ♪
東北道より北関東道へ少し入るのみで大した時間は掛からない、と思ったのだが・・・。
実は相棒のクルマのナビがとんでもない住宅地の狭い路地へ誘導し、彷徨うこと15分↓
あと500mとなってから見知らぬ夜の市街地を走らされて運転の私は凄く疲れてしまった↓
(ま、自分が行くぞ!と誘ったので文句は言えないけど)
肝心の店は待ち時間が長く、残念なことにラーメン自体も今ひとつであった↓
最後の最後にケツバットをくらったような衝撃に疲労度は一気に倍萬と化す・・・ほへぇ↓
今回訪問したラーメン二郎全5店舗の記事は後日趣味ブログで一気に公開予定。
東北道を4月に通ったときは地震の痕の段差を感じた那須以北の路面は修復されたようだ。
二本松市付近で雪が舞い始め、福島市ではそれなりに、
県境の栗子峠では路面も見事に圧雪の大雪となり、地元は別世界の豪雪模様がお出迎え。
何とか無事に帰宅=これで本当に充実した忘年会旅行が終わったというものだ。
年の決算として臨んだ秋仕事、冷たい風と雨の初冬作業、
何れもこの愉しみが控えていたからこそ励むことができた、ご褒美イベント。
誘ってくれた相棒に感謝=合掌。チーン♪
さて、いよいよ本格的に豪雪との闘いの日々となりまする。 冬眠したい・・・ (完)