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伝説の語りべ [2023ひとりごと]

時は令和37、2055年。


とある母親が、
子どもたちへ語りかけている。

**********

いい、よく聞きなさい。
あなた達の曾(ひい)お祖父ちゃん、
そう、お祖父ちゃんのお父さん。
山形県の小国町という所で、
おコメを作っていたの。
過疎化で町は今は無いけど。
そしてW大学の競走部へ、
毎年おコメを送って応援していたの。
そのことで小国町のおコメも、
W大とコラボして有名になったらしいわ。

そして、その縁で競走部の選手たちが、
毎年、小国町へ合宿に来ることになり、
その時に当時のハナダ駅伝監督に、
ハヤブサ・カケル選手がスカウトされたの。
野球部でエースピッチャーだったけど、
長距離走の才能を見抜かれたのね。

そう、あのハヤブサさん!
TVの解説者でもよくみるわね。
2032年のブリスベン オリンピック、
男子マラソンで日本人初の金メダルに輝き、
日本中歓喜に包まれて盛り上がったわねぇ。

そのハヤブサ選手が、
大迫2世として期待されて、
W大学へ入学した年に、
久しぶりに箱根駅伝で優勝し、
曾お祖父ちゃんも大喜びだったのよ。
「オレのコメを食って、
 W大学は優勝したんだ!」と。

71.JPG

その時はお祖父ちゃんの弟、
J叔父ちゃんもW大学卒業で、
アメリカで成功していたので、
お祝いに競走部へ大きな寄付をしたのよ。
J叔父ちゃんも陸上選手だったしね。

そしてW大学は箱根駅伝を、
4連覇することになるけど、
ハヤブサ選手が最終4年生の時は、
歴史に残る名勝負として特に有名よね。

その時のハヤブサ選手は、
調子が今ひとつ上がらなくて、
いつもの2区ではなく、
補欠エントリーで10区へまわったの。
中継所ではトップのK澤大と5分差、
2位のA山学院大とも3分差と、
優勝はほぼ絶望的だったのよね。
ところがハヤブサ選手は走り出すと、
いつもの調子に戻ったみたいで、
グングンと追い上げて、
残り1kmでついに先頭の2人に追いついたの!
あの時はお母さんもゴール近くで観てたけど、
大きな歓声がどんどん近づいて来て興奮したわぁ。
そしてラスト100mは、
三つ巴のスプリント勝負になり、
ハヤブサ選手が胸の差コンマ数秒で、
ゴールテープを切ったの!
区間新記録の力走で4連覇を呼び込んだの。
その瞬間、さらに地鳴りのような大歓声!
『都の西北』の涙の大合唱・・・。
あの時の興奮は今も忘れないわ。
また、ハナダ駅伝監督の集大成として、
采配も神懸かっていたわよねぇ。

72.jpg
(『1-11』のこだわりの細かさ解る?(^▽^) )

その時に曾お祖父ちゃんは、
喜びすぎて頭の血管が切れて、
そのまま天国へ逝ってしまったの。
まだ60代で若かったのに・・・。
だからハヤブサ選手の、
小国町出身選手の、
オリンピック金メダルは見ていないの。

でもね、これは曾お祖父ちゃんが、
W大学競走部の合宿所へ、
『応援でおコメを送りたい』
とメールしたことから始まったのよね。
その時は随分と緊張したようだったけど。

だからいつもお母さんにも言ってたの、
「少しの勇気を持ってみようよ、
 小さな一歩を踏み出してみようよ」と。
そして、お酒を呑むといつも、
「オレのコメを食って、
 W大学は優勝したんだ!ガハハハハ」と。
何回も何回も聞いたわ。ふふっ。

あなた達も、そんな明るく元気だった、
曾お祖父ちゃんの血が流れているわ。
しっかりと学び、遊びなさい。

・・・うんうん、
W大学へ行くも良いわね、
マラソン選手を目指すもイイわね。
お母さんも応援し続けるから!
たぶん天国の曾お祖父ちゃんも!!

**********

わわわわ~ん ♪♪♪♪♪
・・・そんな伝説の語りべ ↓

73.JPG
     (2023年4月現在 3歳2ヵ月)

この妄想の発端記事
  → 永遠のコメ作りモチベーション

・・・頭の中は今日も平和だぜw (^。^)y-゚゚゚



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