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秋田の大祖母さまの告別式へ [2023旅行]

よぉ、ひさしぶり!
秋田1号と会うは約半世紀ぶりだ (^^)/

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「秋田で大ババ様が亡くなった。
 明後日10時に葬式だから、
 お前、俺の代理で行ってくれ」

夜20時前の会長からの電話は、
北秋田市の叔母宅へ緊急出動要請だ。
常に一人行動ファイティングポーズだが、
かなり遠い道中(約350km)なればYB=
=younger brotherを誘ってみると快諾だ。
なれば随分と気が楽になったので、
翌日は不在時分の防除を鬼のようにこなし、
後顧の憂いを絶っておく ヽ(゚Д゚)ノ

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お盆前半なので、
東北道の下りは混雑と予測し、
日本海側を北上し向かうことに。


叔母宅 " 自体 ” へ私は未訪問だが、
YBはその秋田1号の結婚式に会長と、
約25年前くらいか、訪問したことがあり、
その時は東北道回りでも、
随分と時間を要した記憶があるので、
当日早めの丑三つ時=未明2時に出撃だ!

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1時間ごとの運転交替で、
山形秋田県境の鳥海山のシルエットが
しっかり見え始めたは4時半過ぎだ。
やがて県境を越えて、
にかほ市(旧象潟町)の道の駅象潟へ。

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開いていれば愉しい道の駅なのだが。


夜明けでも人が多いはお盆ゆえか?
遠くに男鹿半島がうっすらと望めるは、
秋田県入りを実感しモードが切り替わる。
「なぐこはいねが~!?」
(男鹿と云ったら " なまはげ ” ね)

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さて日本海東北道、秋田自動車道は、
ほとんど対面通行でかったるい。
遅いクルマがいれば遅く当然だし、
センターポールも何気に怖い。
何となく道幅も狭く感じ、
路面も凸凹が目立ちストレスだ (>o<)

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で、ほとんど山の中なので視界も単調が、
延々と続き、これを一人では辛かったか。
約10年ぶりなので忘れかけていた (^_^;

それでも秋田市を過ぎて八郎潟=
=八郎湖に至ると左手に視界が開ける。
世紀の大事業の、手前に八郎潟の水路で、
背後には寒風山が代表的な景色か。

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そして、この後の例の高校伝説の、
" 琴丘中トリオ ” の母校に興奮するは、
まさにオレらしい ヾ(^v^)k
「おっ、琴丘中だ!う~む、う~む」

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そんな小さな幸せオーラで北上し続け、
ついに県北西部の能代市へ至る。
時間も朝食にイイ感じなので、
7時開店の朝ラーへ突撃だ。
それは能代地域No.1評価の、
ラーメンショップ能代店で、
ネギライス(丼)がある貴重な店舗とも。

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が、休みじゃん・・・(×_×)
(で、この風貌が能代No.1か・・・)

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潔く諦めて、早めに到着したので、
能代なれば、あの伝説の学校、
バスケットボール部は全国V58を誇る、
能代工業高だ ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ


私は14年前の2009年に訪問した以来で、
現在は再編で校名が能代科学技術高と。

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当時は小さく感じたモニュメントが今も。

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体育館はお初で、No.4、8、13と、
それぞれ意味のある数字の、
ユニフォーム展示にシビれる。
田臥勇太が1、2、3年と着用した)

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詳細はこちら!
→ 伝説の能代工業高を再訪したのだ!の巻

その後は市内を流して、
能代バスケミュージアムだが、
開館前なので泣く泣く通過しかない。

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そしてJR能代駅へ攻め入ってみる。

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五能線も魅力的で、
リゾートしらかみへ乗りた~い!

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と、ここで有名なのは、
駅ホームにバスケリングがあり、
フリースローを愉しめること。


奥まっているので写真だけ撮るでも、
入場券が必要なれば見送ることに。
しかし訪問記念にお土産を何か・・・ (^^)

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さらば、名選手らが利用した能代駅 (^^)/

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たった一人の熱血教師が興した、
バスケの街、確かに承った d(^o^)

さていよいよ北秋田市(旧鷹ノ巣町)へ。
実は私は14年前の2009年に、
相棒の秋田100kmマラソン大会出走へ、
サポート帯同して来たことがある。
(その時に能代工業高も観た)
そのゴールがJR鷹ノ巣駅隣だった。

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ここで当時の写真で振り返る。

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栄光のゴールの瞬間 \(^^)/

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最後はエプロンおじさんに、
励まされて粘ったが懐かしい。

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私的にも大事な思い出だ ヾ(^v^)k

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さてさて・・・まずは腹ごしらえは、
結局いつもの牛丼チェーンで。

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で、そこから100m先が斎場だ。


余裕の9時半に無事到着だ。
(小国を出てから7時間半!)

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叔母と再会は3年ぶり、
叔父さんとは約10年ぶりか?
秋田1号とは約半世紀だが面影は変わらない。
皆さんへ挨拶と軽く談笑を (^o^)

既に火葬は済んでいて、
日程もこちらと異なるは地域差だ。
本来の予定であろう13日は友引なので、
一日早めて忙しかったようだ。

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お祖母ちゃんは御高齢ということで、
近い身内のみで、とのことだ。
ご冥福をお祈りいたします <(_ _)>

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その後の御斎では驚いた。
このボリュームとクオリティは、
我が方の2.5~3倍か!?(゚o゚;
献杯でホロ酔いお腹八部目なれば、
持ち帰れない手前の料理のみ頂く。

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その後は自宅のある旧合川町へ。
鷹ノ巣から7、8kmだが、
100kmマラソン大会コースでも、
あるので懐かしく (^o^)


まず近所のお寺のお墓へ納骨と。

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ここでも作法の違いを。

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その後は家へ案内されて、
今宵は宿泊させていただくことに。
しばし休憩していると、叔父さんが、
「酒買いに行くから、お前運転しろ」
「オレ、御斎から呑んでましたよ~」
でYBも献杯し始めていたので、
結局叔父さんの運転で米内沢のツルハへ。

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この景色も懐かしい!
再び100kmマラへタイムスリップ!

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既に90km越えで長い直線に萎えていた。

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もちろん、この時に叔母宅を意識したが、
当時のネット環境は脆弱で探せなかったので、
たぶんこの辺と、こっそり通過していたのだ。

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合川駅前は叔母の店もあったと。
ボロボロの相棒の応援をしつつ、
親戚ノスタルジーでもあった (^^)

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そんな過去も重なり、
16時頃から献杯痛飲が始まる。
呑み師の叔父さんと喋りまくり♪

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と、秋田1号は教頭先生で重職なので、
その方面所用でも往き来が忙しい。
ゆっくり話せたのは20時頃か?
我らも2時起きなのに元気なことだ。

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そんな遠い地域の親戚との懇親は、
お祖母ちゃんのおかげと感謝して。
「次は叔父さんの葬式でだな~」
軽く毒を吐きながら、
秋田の夜は更けてゆく~(-_-)゚zzz…
(2時起床から仮眠もせず、そのままで、
 16時から22時過ぎまで呑んでいれば、
 まだまだ私もイケるじゃん (^▽^) )

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翌朝も元気にお墓参りに。
が1週間毎日続ける風習らしく・・・(@@;)

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ここで我らは退散することに。
皆さま、お元気で (^^)/


同じ道を通らないマイルールで、
帰路は東北道とする。
時間を気にせず、のんびり行こう。
で、その方面に、さらについで観光は、
東京渋谷で有名な忠犬ハチ公の生家へ。


大館市は秋田犬で有名でもある。

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謎のトイレも攻略し満足だ (^。^)y-゚゚゚

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詳細はこちら!
→ 忠犬ハチ公の生家を観たのだ!の巻

そして初めての大館市へ行ってみるは、
見知らぬ地域を流すが大好物なので。


学力の高い秋田県の、
県北の進学校は大館鳳鳴高で、
秋田1号、弟たち、奥さん、子どもたち、
とみんな母校でもある (^^)スバラシイ

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ひと気の無いことを良いことにウロウロと。
「みんな、ここで学んだか~」
「甲子園出場もしたし、
 室内練習場もあり立派~」
「ポール牧の偉業を讃える記念館?」
・・・いちいち意欲的に散策だ (^▽^)

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秋田犬会館か、さらば~(^^)/
なるほど大館市、そんな感じか。

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秋田県北3市、確かに承った (^o^)

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大館北ICから秋田自動車道で、
小坂JCTへ向かい、
東北道へ合流し、一路南下だ。

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岩手県内の東北道は市も多く、
飽きにくいような気がする。
休憩の物色もまた愉しい (^^)

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花巻市は花巻東高が脳裏に浮かび、
その先の奥州市(旧水沢市)は、
今をときめく大谷翔平の出身地だ。
「実家を観に行きたいわな~」などと。


お盆期間中のP、SAの昼時は、
ことさらに混雑で駐車場から萎える。

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『席を確保してから注文下さい』と。

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ちょっと早めの前沢SAが正解で、
昼過ぎの菅生Pや国見SAは入口まで、
2、300mの大渋滞であった (@@;)

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あまりの暑さで、ついで観光も見送る。
再度の中尊寺毛越寺等などを。
狩野英孝の神社もいつか~」

山形道では山形市内北西を、
無駄な大八回りで遠くかったるい。
なので福島市経由で帰郷することとし、
ならば、と薄皮饅頭を求めていたりして。

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そんな福島市=福島県なれば、
東北5県を通過したことになる。
なれば、残るは青森県のみだったが、
大館市から10km強で青森県境だったを思う。
「惜しかったなぁ~(?)(^▽^)」

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結局道中800km近くは、
いつもの東京方面と変わらずか。
しかし宇津トンネルを遠く感じたは、
やはり慣れない地域だったからか。
まずは16時過ぎに無事帰還だ。
YBありがとね (^^)/

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秋田1号は中学校の教頭先生で、
奥様も小学校の教頭先生なので、
ゆくゆくは夫婦で校長先生か。
「ぜってー校長になれよ!」
(もちろん私も嬉しいし d(^o^)b )

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その吉報を愉しみに待つ。

お祖母ちゃん、みんなの行く末を、
天国から見守って下され <(_ _)>
・・・あえて語弊を承知で、
有意義な時間をありがとうございました。


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