農家の休日・・・①R17三国峠を暴走 [2022旅行]
8/27(土)4号を東京へ送る。
痛々しいR113から東北中央道、
東北道、外環にて約360kmの道中だ。
海鮮、お肉でエナジーチャージ!
受験上京には赤愛車であったが、
引越し以降ではお初の成増だ。
黒愛車での思い出は永遠に (*^_^*)
→ 首都圏棲息2022春(1)旅立ちへ
→ さなぶりドライブ2022・・・有終のラストラン
コメ、水、保存食品、
その他嵩張るモノを積んで来た。
で翌日は新潟市に所用なので関越道だ。
でオレ的定番のかき揚げうどんを (^^)
時間があるので寄り道は、
一般道R17にて約20年ぶりか?
三国峠を越えてみる。
沼田を過ぎて月夜野ICからR17へ向かうが、
10年前のマダム家との旅行が懐かしい。
→ 真田氏の史跡を歩く(1) 沼田→鳥居峠
→ 名胡桃城(俺の城!)
その辺をかすめて、
県境へ向かい三国峠を越えるのだ (^^)/
三国峠といえば、
上杉謙信の数回の関東遠征で、
険しいところを冬期積雪でも出陣したは、
軍神に従う兵士たちも、
もさぞかしの苦労を容易に想像だ。
さてクネクネと急坂が続くが、
日頃の鍛錬で問題ナッシン。
赤い彗星は本日も絶好調~ヽ(゚Д゚)ノ
今も危険物積載車両は、
関越トンネル通行不可なので、
ココを通らねばならずご苦労さまだ。
やがて山の中腹にポッカリと開く、
三国トンネルへ至ろう直前の、
萌えポイントで停車だ。
それはクロソイド曲線記念碑だ。
このクネクネ道が続くので、
緩和のために日本で初めて、
クロソイド曲線で設計された区間で、
それを記念してなのだ。
しかしこの草ボウボウでは、
ほとんどの人は気付かないだろう。
(つーか、ほとんどの人は、
興味無しであろう・・・( 。-_-。) )
それでも除草剤散布しておけよ!
しかしこの記念碑は・・・
・・・に見えてしまう v( ̄∇ ̄) モエ~
ではいよいよ三国トンネルだが、
狭く危険だし、老朽化と話題が尽きない。
そこで隣に新しいトンネルが開削されたが、
その開通が今年の春だったのだ。
(その日にふたつを通った猛者が!)
で出来たてホヤホヤをGO!
が、また半世紀もすると隣に、
トンネルが開削されたりして・・・(^▽^)
さて次に愉しみは苗場スキー場だ。
1980年代後半から90年代の、
バブルの象徴で全盛時は凄かった。
芸能人スキー大会が懐かしい (^^)
その後バブルははじけ、
スキー人口も激減等の影響もあり、
今やまさに強者どもが夢の跡の象徴でもある。
時代の流れの悲哀を感じ、
群馬側とは対照的に広く、
ほぼ直線の急な坂道を下る。
やがて三俣地区へ至るが、
ここは歴史的な雪崩事故で有名だ。
1918年(大正7年)に発生した雪崩で、
180名が巻き込まれ死者158名にのぼり、
文献記録に残るうえでは日本史上最悪の雪崩災害とのこと。
→ 三俣の大雪崩(みつまたのおおなだれ)by wiki
→ 史上ワースト級の雪崩事故が続発した“1918年の大豪雪”
地図地図
心で合掌し、通り過ぎる。
相変わらず狭く暗いトンネル、
つづら折りの連続、
スノーシェード、擁壁等が、
険しい地域なことを知らしめる。
やがて湯沢町市街地に至り、
これも10年前の、
マラソン大会を思い起こさせる。
→ 越後湯沢秋桜ハーフマラソン大会コースの下見
→ 越後湯沢秋桜ハーフマラソン大会2013
(1) 決戦の秋 (2)そして2秒
そして湯沢町もバブル狂乱の舞台でもある。
大型リゾートマンションに住み、
新幹線で東京まで1時間の通勤をする、
などとバカげた時代の負の遺構が多い。
そのままR17を流し、
塩沢石打ICから再び関越道へ。
そのIC手前に昨年、十日町のSさんへ、
視察に伺った十二峠入口も、ふと回顧。
→ R117信濃川河岸段丘の旅
ほとんど直線続きの関越道は快適で、
やがて1時間弱で燕三条地区へ至ったので、
この後に備えて名物で腹ごしらえだ。
しかしイマイチな麺とスープ、
甘ったる~いカツ、
と感想のみが辛口だ (--#)
さて次はいよいよ新潟市でミッションだ。
ココまでとは違う興奮が待っていることを、
まだ私は知らない (^^)v
(つづく)
痛々しいR113から東北中央道、
東北道、外環にて約360kmの道中だ。
海鮮、お肉でエナジーチャージ!
受験上京には赤愛車であったが、
引越し以降ではお初の成増だ。
黒愛車での思い出は永遠に (*^_^*)
→ 首都圏棲息2022春(1)旅立ちへ
→ さなぶりドライブ2022・・・有終のラストラン
コメ、水、保存食品、
その他嵩張るモノを積んで来た。
で翌日は新潟市に所用なので関越道だ。
でオレ的定番のかき揚げうどんを (^^)
時間があるので寄り道は、
一般道R17にて約20年ぶりか?
三国峠を越えてみる。
沼田を過ぎて月夜野ICからR17へ向かうが、
10年前のマダム家との旅行が懐かしい。
→ 真田氏の史跡を歩く(1) 沼田→鳥居峠
→ 名胡桃城(俺の城!)
その辺をかすめて、
県境へ向かい三国峠を越えるのだ (^^)/
三国峠といえば、
上杉謙信の数回の関東遠征で、
険しいところを冬期積雪でも出陣したは、
軍神に従う兵士たちも、
もさぞかしの苦労を容易に想像だ。
さてクネクネと急坂が続くが、
日頃の鍛錬で問題ナッシン。
赤い彗星は本日も絶好調~ヽ(゚Д゚)ノ
今も危険物積載車両は、
関越トンネル通行不可なので、
ココを通らねばならずご苦労さまだ。
やがて山の中腹にポッカリと開く、
三国トンネルへ至ろう直前の、
萌えポイントで停車だ。
それはクロソイド曲線記念碑だ。
このクネクネ道が続くので、
緩和のために日本で初めて、
クロソイド曲線で設計された区間で、
それを記念してなのだ。
しかしこの草ボウボウでは、
ほとんどの人は気付かないだろう。
(つーか、ほとんどの人は、
興味無しであろう・・・( 。-_-。) )
それでも除草剤散布しておけよ!
しかしこの記念碑は・・・
・・・に見えてしまう v( ̄∇ ̄) モエ~
ではいよいよ三国トンネルだが、
狭く危険だし、老朽化と話題が尽きない。
そこで隣に新しいトンネルが開削されたが、
その開通が今年の春だったのだ。
(その日にふたつを通った猛者が!)
で出来たてホヤホヤをGO!
が、また半世紀もすると隣に、
トンネルが開削されたりして・・・(^▽^)
さて次に愉しみは苗場スキー場だ。
1980年代後半から90年代の、
バブルの象徴で全盛時は凄かった。
芸能人スキー大会が懐かしい (^^)
その後バブルははじけ、
スキー人口も激減等の影響もあり、
今やまさに強者どもが夢の跡の象徴でもある。
時代の流れの悲哀を感じ、
群馬側とは対照的に広く、
ほぼ直線の急な坂道を下る。
やがて三俣地区へ至るが、
ここは歴史的な雪崩事故で有名だ。
1918年(大正7年)に発生した雪崩で、
180名が巻き込まれ死者158名にのぼり、
文献記録に残るうえでは日本史上最悪の雪崩災害とのこと。
→ 三俣の大雪崩(みつまたのおおなだれ)by wiki
→ 史上ワースト級の雪崩事故が続発した“1918年の大豪雪”
地図地図
心で合掌し、通り過ぎる。
相変わらず狭く暗いトンネル、
つづら折りの連続、
スノーシェード、擁壁等が、
険しい地域なことを知らしめる。
やがて湯沢町市街地に至り、
これも10年前の、
マラソン大会を思い起こさせる。
→ 越後湯沢秋桜ハーフマラソン大会コースの下見
→ 越後湯沢秋桜ハーフマラソン大会2013
(1) 決戦の秋 (2)そして2秒
そして湯沢町もバブル狂乱の舞台でもある。
大型リゾートマンションに住み、
新幹線で東京まで1時間の通勤をする、
などとバカげた時代の負の遺構が多い。
そのままR17を流し、
塩沢石打ICから再び関越道へ。
そのIC手前に昨年、十日町のSさんへ、
視察に伺った十二峠入口も、ふと回顧。
→ R117信濃川河岸段丘の旅
ほとんど直線続きの関越道は快適で、
やがて1時間弱で燕三条地区へ至ったので、
この後に備えて名物で腹ごしらえだ。
しかしイマイチな麺とスープ、
甘ったる~いカツ、
と感想のみが辛口だ (--#)
さて次はいよいよ新潟市でミッションだ。
ココまでとは違う興奮が待っていることを、
まだ私は知らない (^^)v
(つづく)
2022-08-29 22:37
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