SSブログ

真田氏の史跡を歩く(5) 松代市街地にて [2013旅行]

上田市から長野市松代地区へは約35kmほどの近さなので、
当初はR18にて周辺景色を眺めながらクルマを流しつつ、
途中みんなでどこかで昼食とお喋りを交わし愉しみながら移動するつもりであった。
(次図の赤点線)

しかし予定時間を2時間近くもオーバーしたならば、マダムと相談して、
上信越高速道で一気に松代へ向かい、
昼食は各自クルマの中でコンビニ食として時間節約することとした。
(次図の黄色線)

そのために上田菅平ICへ向かう道路は、結局前日より2往復したことになり、
市内の大通りも自然と覚えてしまったりして、それはそれでよい (^_-)

51.JPG

パンをかじり、おにぎりの米粒を口の周りに付けて、軽く玄米茶をこぼし、
長大トンネル続きの高速道を爆走すること1時間も経たぬうちに松代へ到着!

さあ最終回もBGMは・・・  → 真田太平記 オープニングテーマ

52.JPG

松代は信之を祖とする松代藩真田氏10万石の城下町として、
江戸時代を約250年間生き抜き、明治の世を迎えた。
信之は当初上田を領地としていたが、大阪の陣の後に松代へ移封となった。
ゆえに真田氏の活躍を後世に伝える史跡や家宝が数多く残っている。
そこで、ここでは松代(海津)城跡、真田宝物館、長国寺を訪ねる。


まずは松代城跡だが、この城は以前川中島の戦いで武田信玄が海津城として築城し、
上杉謙信との戦いに備えた最前線の基地であった。

53.JPG

おお、城がちびっ子上杉軍の猛攻にさらされている!
小石を蹴りジャリジャリ、カキーン!と荒々しい武者ぶりは見事!一番乗り~♪

54.JPG

その川中島の戦い当時は幸隆、昌幸も参戦した地であり、
その後世に信之が当地へ入城するも奇縁と云える。
(現代の我々も上田と松代は近いので訪問には非常に助かる (^_-)v )

55.jpg

当時は印象的な堀に囲まれた、まるで水城とも思える城だ。

56.jpg

しかし明治の世に城は破却され、遺構は忘れ去られたように風化してゆく。
16年前に訪問した時は僅かな石垣が確認されたが、特に観るべきものも無く、
かつ重機で工事中であったので遠目に眺めて終わりであった。

57.JPG

しかし近年の復元工事により見事に現代へ復活は重畳だ。
二の丸衞門より太鼓門にて本丸へ。

58.JPG

61.JPG

当時、時を告げる太古が設置されていたので太鼓門という。

62.JPG

64.JPG

多くは復元石垣だが、本丸御殿櫓台辺りは当時の石垣が確認出来る。

65.JPG

66.JPG

搦手の北不明門から本丸を後にし二の丸跡をぶらぶらと散策だ。

67.JPG

68.JPG

69.JPG

旧大手門があった池田満寿夫美術館前に、
発掘調査により確認された貴重な三の丸水堀跡がある。
これが拘りの “ 本物 ” であることで興奮したりする。

71.JPG

城跡は復元が多いゆえか、整備された公園風情の面を強く感じてしまった・・・(ノД`)
まずはさらば、真田藩主の城、川中島合戦の舞台よ!


さて、その隣には昨年廃線となった長野電鉄屋代線の松代駅が望めて、
周囲は再開発となるのであろう、綺麗に更地とされていた。

74.JPG

16年前は、この松代を見学し、松代駅から屋代駅を経由し上田へ向かったのだ。
あの日通った廃線跡に時の流れの哀愁を感じること、いとをかし (-_-)

75.JPG

さていよいよ隣接する、真打ち登場は真田宝物館だ。
  → 真田宝物館 公式ホームページ

76.JPG

真田氏400年の貴重な資料が収蔵展示され、武具、調度品、文書、美術品と幅広く、
ファンには堪らないお宝だらけ (^^)d
武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、石田三成らの書状も痺れるが、
胴に梯子は縁起が良いとされる昌幸着用の昇梯子の “ 本物 ” 甲冑に脳天クラクラ・・・

95.jpg

・・・のはずであったが、当日はなぜか展示されていない (ノД`)
(どこかへ貸出し中であったかも・・・(未確認))

まずは館内を満喫した後にロビーでまったりと休憩し、
目の前での、燃える赤甲冑での記念撮影の親子の様子を拝見。
(私も子どもに戻り、着用撮影して欲しいかも・・・頭の中は子どもなのだが・・・)

77.JPG

旅の終盤を締める骨太の良き歴史館訪問であった。

78.JPG

上田市内同様に、ここでも六連銭が町内の至る所に見える。
暇そうなチビたちに「六連銭をさがせ~い!」、「あった!」、「あそこも!」と。

79.JPG

そして最後の訪問は真田家菩提寺の長国寺。
前日真田の庄で訪問した長谷寺が、
信之の松代移封に従い移転し、長国寺と改められた。

80.JPG

81.JPG

黒く精悍かつ華やかな信之の霊廟は国の重要文化財だ。

82.JPG

その妻部の鶴の彫刻は名工左甚五郎作とのこと。

83.JPG

そしてクライマックスは、真田家歴代藩主、信之からの墓が一同にあること。
明治の廃藩置県で藩終焉の主の10代幸民(ゆきもと)前までの藩主が眠る。

84.JPG

幸隆、昌幸、幸村らは供養碑のみとなるが、
幸村と息子大助は「様」づけなのが可笑しい。

85.JPG

ここでは住職なのか不明の謎のオヤジさんによる説明により、
大変判り易く、興味深く訪問することができ、誠に有り難かった <(_ _)>

86.JPG

本堂屋根には真田家家紋の六連銭以外の雁金も確認出来る。
真田氏の誇りが西陽に映える絵が、いよいよ旅の終焉を告げるようで印象深かった。

87.JPG

・・・ということで、
真田氏オールスターの奉られている寺は非常に重く深い感慨を抱かせてくれた。

詳細はこちら → オレの寺! 長国寺 


当初は、ここから川中島合戦跡地、善光寺へと参る計画であったが、
時計は既に16時を廻ったので、ここで濃厚な旅を終了とする。
明治まで続いた真田氏の宝物館と菩提寺で締めるが最も相応しいだろうし。

没落した一族を中興した「攻めの弾正」幸隆。
大勢力に囲まれて、吹けば飛ぶような小勢力ながら、
変転する難しい時代を巧みな外交と合戦により乗り切った「表裏比興の者」昌幸。
大阪の陣で敵にも賞賛された戦いぶりで真田の武名を普遍とした「日本一の兵」幸村。
そんな彼らの事実と虚偽が混在しつつも、今日よく伝えられているのは、
信之を始めとする家系が明治の世までよく続いたからに他ならない。
大阪の陣の後、徳川の憎き敵として幕府による藩取り潰しの陰謀渦巻く中を、
さながら武器を持たぬ戦いに勝利し、藩の礎を築いた信之の功績は大きい。
・・・ゆえに三代4人なのだ!

88.JPG

そんな興奮を表す私のお土産たち (^^)v

92.JPG

93.JPG

もちろん訪問各所での資料、パンフレット、入場券なども思い出の逸品。
これらをファイリングし、後日パラパラと見返すことも愉しい (^^)

94.JPG

そして何よりも!
そんな旅を気持ち好く送れたは、良き仲間に恵まれたからに他ならない。
俺の城!氏とマダムよ、本当にありがとう!
キミたちと共有できたからこその “ 夢の旅 ” であったことは言うまでも無い (^^)v

96.JPG

また2日間にわたり、男も敵わない気っ風と走りで、
不案内な道も含め終始先導してくれたマダムありがとう<(_ _)>

長野ICで右と左に別れて、お互い手を振りつつ走り去る光景は今も脳裏に鮮やかだ。
遠足は家の玄関に至るまで遠足・・・我らも4時間後には無事帰宅だ。

90.JPG

そんなこんなで信州と上州の真田氏の主戦場を確かに承った!
次は昌幸と幸村が配流された紀州高野山と、幸村が伝説を生み残した大阪だ!

91.JPG

さらばその日まで・・・我らの歴史旅浪漫は終わらない (^_-)☆       (おわり)


nice!(1)  コメント(0) 

真田氏の史跡を歩く(4) 上田市街地にて [2013旅行]

ついにLOVE♪LOVE♪な真田幸村と再会を果たし気分は絶好調 b(^^)d
やっぱりBGMは・・・  → 真田太平記 オープニングテーマ

40.JPG

本日は、まずは真田氏を語る上で欠かせない聖地上田市街地で、
砥石城跡、上田城跡、池波正太郎 真田太平記館を巡る。

41.JPG

砥石城跡は当初計画では先日夕方訪問であったが、
いざ各所を巡り始めると興奮ゆえか微妙に時間を費やし本日へスライドだ。

42.JPG

砥石城跡は村上義清勢力下時に武田晴信(信玄)が攻めたが、
「砥石崩れ」と呼ばれる有名な負け戦の舞台となった堅城だ。
それを武田配下の幸隆が翌年調略によりわずか1日で制圧し、
その後真田氏の城となり、昌幸が上田城築城までは主城であった。

遠望で綺麗な台形の威容の山城を、
地形図でも険しさが容易に想像できる堅城を、
歴史背景に想いを馳せつつ、我らも勇躍出陣だ (^^)d

43.JPG

この場に似合わない「なめんなよ!」と軽薄で挑発的なコメントがお出迎え。

44.JPG

しかしその後に待ち受けたは、誠に中途半端な門で、
中央には中学校の体育祭の各陣地に飾られるような、
イケメンキャラクターが描かれた看板が!
ひと言で片づければ、「浪漫もセンスも無い!」(ToT);;;

45.JPG

拍子抜けの気を取り直し、道を進めば上り坂ゆえに次第に息は荒くなる。
これは軽い登山、トレッキングの部類に入りそうな嫌な予感が・・・。

46.JPG

なんとやはり! あまりの急斜面によりロープが張られている!

47 .JPG

まずは端っこの米山(こめやま)城を制圧。
ちなみに第1回米山城まつり記念のベンチ日付は昭和59(1984)年10月27日。

48 .JPG

49.JPG

下りは上り以上に危険なことは、山歩きの基本中の基本だ。
ここに“愉しい観光”などと呑気な雰囲気は無く“生死を賭けた”行動と云えるかも。

51.JPG

米山城跡を一旦下るといよいよ砥石城跡への上りだが、
こちらも長く急坂なので階段が設置されていて非常に助かる。
まったく宝くじ助成金様々だ <(_ _)>

52.JPG

さすがの健脚な私も寒風をものともせず大汗だ (>_<);;; ん?鼻水も m(^_-)m

53.JPG

しかしそれに引き替えの眺望は素晴らしい!
手前には先ほど登った米山城跡、そして上田城跡が続き、遠くには別所温泉も。

54.JPG

55.JPG

既にゼンマイが切れたオバさん2名を残し、
せっかくの歴史的舞台の山城なれば、行けるところまで制圧だ!

57.JPG

本城跡には石垣も残り、まさに戦いの舞台の雰囲気を漂わせている。

58.JPG

奥の桝形城跡への最後の上りを攻める。

59.JPG

ここで本当の、やったぜ砥石城跡制圧 (^^)v

60.JPG

昨日辿ってきた鳥居峠方面、訪問した長谷寺、真田本城跡などが。

61.JPG

大手口へのつづら折りを延々と下る。まったく凄い距離だ (ノД`)

62.JPG

この山裾の伊勢山地区は歴史的風情のある街並みが続き、
当時の家臣団たちの住居跡だったかも。

63.JPG

さすがに大規模で険しい山城だったゆえに、
上り始めから駐車場へ戻るに1時間半も要してしまった!
(昨夕方にムリに挑まず正解=遭難してしまったかも (×_×))

詳細はこちら → オレの城!砥石城 (coming soon ♪)


さて再び上田市街地へ向かい、いよいよ上田城跡だ。
昌幸が築城し、徳川の大軍を2度迎え撃ち2度とも撃退した城跡だ。

1585年徳川軍7000人を真田軍(昌幸、信之、幸村)は2000人で迎え撃ち、
徳川軍に死傷者1300人あまりを出させ潰走させた神川合戦(第1次上田合戦)。
1600年関ヶ原の戦いに際し、西軍(豊臣軍)に昌幸、幸村が、
東軍(徳川軍)に信之が別れ、徳川秀忠率いる徳川本隊の3万8000人を、
わずが3500人で迎え撃ち、1週間釘付けにし見事に撃退し秀忠に攻略を諦めさせた。
そして結果的に徳川本隊を関ヶ原決戦に遅参させた第2次上田合戦。


その誇りある上田城跡に16年ぶりに推参なり~b(^^)d☆♪☆♪☆♪

65.JPG

ちなみに有名な真田十勇士は架空の人物・物語ですぞ。お間違えなく。

66.JPG

城内の真田神社へ参拝。

67.JPG

幸村のでっかい兜オブジェ設置の意味がよく判らんが・・・御神体?

79.JPG

詳細はこちら → オレの神社!真田神社


城自体に遺構は少なく再建が多く残念であるが、
実戦を経験(特に精強な徳川軍相手に)した、
この場所であること」がファンの心を限りなく熱くさせるのだ!

80.JPG

だからバリアフリー化工事などと城内に舗装道路が施設され、
チャリンコの爺ちゃんが通ろうとも、涙せずにっこりと聖地を讃えたい。

68.JPG

そして十勇士看板で大きなお尻を向けるオバちゃんたちも微笑ましい。

69.JPG

詳細はこちら → オレの城!上田城 (coming soon ♪)


さて余韻を引きずり隣接のお土産物店で経済活動に勤しみますか!

71.JPG

2階は三代のレプリカ甲冑を眺めての無料休憩所。

72.jpg

1階入口脇には駅前と同じ幸村銅像と玩具ダイヤブロック製甲冑が展示。
ブロック製甲冑は約6300個にて約23.5日(177時間)を費やした大作らしいが、
一体誰が何を訴えたいのかよく判らん (T_T)? でも信者作ならば判るかも (^^)

73.JPG

聖地にて買いも買ったり六連銭グッズたち (^^)v
ワッペンは愛車軽トラに貼ろう!(軽トラ自体も赤く塗装し直すか(^_-)☆)

74.JPG

75.JPG

続いて池波正太郎 真田太平記館だが、
そもそも同氏作の『真田太平記』で具体的なイメージを膨らまし世界観を築いたし、
その余波で同氏の他の歴史時代小説も好きになった。
『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『藤枝梅安』などネ。 
そんなアレコレでファンは訪問してみたいのだ。
  → 池波正太郎 真田太平記館
  → 池波正太郎 公式ホームページ

77.JPG

チビたちはつまらないかも、と危惧していたが、
暗い洞穴通路を幾度も走り回り愉しんでいたようで助かった。

私はここでも記念にと、上田紬製の巾着を購入だ。
地元の特産品で丈夫さを「3代100年使用可能」との売り文句が、
今回の「真田3代を巡る旅」コンセプトの琴線に響いたりするので (^^)♪

78.JPG

さて、そんな満足感に浸り、ふと時計をみると12時58分!
この後は長野市松代地区へ突撃計画で、16時には家路へとつきたいが、
上田市からの移動時間も考慮すると時間が無い!
(やはり計画変更の砥石城跡で時間を費やしすぎたか・・・(ノД`))

ああ、どうしよう・・・(>_<)                    (感動の最終回へつづく



nice!(1)  コメント(0) 

真田氏の史跡を歩く(3) 別所温泉→上田駅前 [2013旅行]

  → The Song of Life ~with Royal Philharmonic Orchestra 2001 version

51.JPG

今宵お世話になる宿はマウントビューホテル朝日館さん。
展望露天風呂と手作り会席料理が自慢の宿なればGood ♪
嬉しい角部屋からは上田市街の夜景が!

53.JPG

まずは自慢の硫黄泉、やや温めでじっくりと温まる。
風林火山コンビはサウナと水風呂を行ったり来たりで大騒ぎ。
(彼らの40年後の姿見えり!( ̄∇ ̄) )

54.JPG

さてお愉しみの夕食に舌鼓。

55.JPG

56.JPG

その後は部屋へ戻り祝宴は続く (^^)
あーだ、こーだと真田ネタはもちろん、グダグダと歴史談義に華が咲く。

57.JPG

ちなみにチビたち3人は隣部屋で仲良く「子ども会」と称し懇親会。ヤツらも呑む。

58.JPG

ここで俺の城!氏に書類土産をいただいた・・・ありがとうヾ(^v^)k

59.JPG

彼らが不用品のイケメン伊達政宗クリアファイルは赦すとして、
『マダム一家TV出演』なるDVDは残念ながら再生不可であった・・・(ノД`)

そんな弾んだお喋りも、ろれつが回らなくなった午前様まで続いたのであった。
窓の外の上田市の灯も睡眠モードだ。

我らはバタンキュ~と布団へ倒れたが、マダムはお風呂へいったとのこと。
呑んで風呂入るなよ! チミはナースだろ! むしろ止める立場じゃん (--#)
まったくやれやれ・・・(-_-)゜zzz…

62.JPG

さて暗闇の5時半に起床し6時に朝風呂で今日の英気を養う。
部屋に戻ると希望の朝よろしく、天気も良さそうだ。

64.JPG

65.JPG

8時の朝食時間までに別所温泉での朝の散策を愉しむ。
見所も多いので今のうちに (^^)v



宿のほぼ隣には共同浴場の石湯があり、
「真田幸村公 隠しの湯」と銘打つ池波正太郎筆の石碑があるのだ!

66.JPG

これを観ずして、カメラに収めずして別所温泉へはありえない! やったぜ (^^)v

67.JPG

「お江・・・いやん幸村さま・・・いいではないか・・・ジャッ・ポ~ン♪」 その舞台ネ。
(凄く気になるキミはDVD 『真田太平記』を観てみよう (^^) )

さて有名な3つの寺も今のうちに攻め落とそう。

68.JPG

まずは安楽寺の黒門をくぐる。

69.JPG

前夜のダレダレ酔っ払いが嘘のように元気なマダム・・・敵わん。

70.JPG

71.JPG

72.JPG

ここの見所は国宝八角三重の塔だが拝観時間は8時から・・・(>_<)
今日もスケジュールが押しているので、後の訪問は却下で泣く泣く断念。
ヨボヨボ爺さんになったら、いつか来る機会があるかも。

73.JPG

参考画像にてコレだ。
  → 安楽寺 公式ホームページ

74.jpg

安楽寺から常楽寺へ向かう道から浅間山も見えるらしいが、現在は雲の中。

75.JPG

76.JPG

勝手に持って行ってくれ、との御朱印をGet!
料金を間違ってアフリカ難民への基金箱へ入れてしまったが赦して下さい m(_ _)m

78.JPG

国宝や重要文化財の多い地域の消防団のみなさんご苦労さまです。
みなさんのおかげで温泉街を愉しんでおりまする <(_ _)>

79.JPG

飲泉できる温泉が嬉しいかも。

80.JPG

さて全国でも珍しい本堂が北に向いている北向観音へ。

82.JPG

開店前だが、お土産街が風情を盛り上げている。

83.JPG

「厄除観音」としても有名なので気張って参拝だ。

詳細はこちら → オレの寺!北向観音

84.JPG

さてもうひとつ。
上田電鉄別所線の別所温泉駅も気になっていたが、時間もなく諦める。
いつかヨボヨボ爺さんは、この電車に乗りに来るぞよ。

85.jpg

まずは参考画像といただいた書籍にて愉しんで機会を待とう=備えあればチャンスあり。


別所線歴史さんぽ

別所線歴史さんぽ

  • 作者: ほホ歩の会
  • 出版社/メーカー: 信濃毎日新聞社
  • 発売日: 2011/05/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


そんな具合でハートは熱くとも、朝の冷気に凍えて宿へ戻る。
朝食までわずか10分ほどでもマダムは風呂へダイブしたらしい (゚o゚;

86.JPG

今日は市内で美味いものをつまみ食いしたいので、ごはんを1杯で控える私。

87.JPG

さらば朝日館さん・・・気持ち好く過ごすことが出来ました <(_ _)>

88.JPG

荷物の積み替えなどクルマ発進までのモタモタ中に、
チビたちに名物厄除けまんじゅうを買って来てもらった。ヤツら使えるので助かる。
ただ、まんじゅうは今日作って明日が賞味期限とは厳しい。

89.JPG

さぁ、いよいよ真打ちの上田城跡と砥石城跡へ向かいまする (^^)v

90.JPG

晴男と晴女のマダム夫妻の威光で今日もピーカン照りが嬉しいヾ(^v^)k

92.JPG

昨日と同じ道を戻り上田駅を目指すが、
途中の昨夜も気になった『上田原』看板は、やはり有名な古戦場跡だ。
村上義清vs武田晴信(若き日の信玄)だが、
地元の利を生かした村上勢の猛攻にあい、
晴信の重臣ナンバー1、2の板垣信方、甘利虎泰を始め、
多くの重臣を失い、晴信も傷を負った負け戦「上田原の戦い」の舞台だ。

まったくアレコレと戦国歴史好きの脳天を刺激する地域で痺れるぜ。

91.JPG

さてやがて上田駅前へ。
16年前は駅前のイトーヨーカドービル(と記憶する)の最上階レストランで、
ビールで祝杯し、カレーライスでお腹を満たし、
眼下の上田城跡と虚空蔵山を眺めて悦に入った記憶が蘇る。
そして同月開業の長野新幹線あさまで東京、横浜へ戻ったのだ。
そのビル(写真赤点線)も今は再開発で姿無きは時の流れというもの。合掌。

93.JPG

ところでマダム、車線案内を間違っているのでは? 駅へは右折せよでは?
と思った瞬間にマダムが右ウインカーを出したので私も咄嗟に続き、
2車線を2台揃って斜めに占領 (山形ナンバーなので勘弁して下さい・・・<(_ _)>;;;)

さあ上田駅。
壁のデザインも六連銭イメージで、随所に六連銭が見える。
(写真では小さくて判りにくいけど・・・)

94.JPG

そして反対側ロータリの中に、見えまする見えまする!!!

95.JPG

真田幸村騎馬銅像へ16年ぶりのご対面 ヾ(^v^)k
当時は無かったエンジ色の旗指物は時計と温度計の実用を兼ねてGood!

96.JPG

いよいよ怒濤のクライマックスに少年オヤジの心躍る瞬間が迫る!
(ずぅ~っと、立ちっぱなしだけどネ・・・(^_-)☆)              (つづく


nice!(1)  コメント(0) 

真田氏の史跡を歩く(2) 旧真田町→別所温泉 [2013旅行]

長野県上田市の旧真田町の真田氏発祥の地は真田の庄とも云われる。
数々の細かくレアな史跡が多い地域だが、ここも泣く泣く取捨選択し5箇所だ。

鳥居峠よりR144を下り、右手への菅平高原入口、左手の松尾古城跡、
角間渓谷入口を経て、真田家の菩提寺の長谷寺へ。

では今回も・・・  → 真田太平記 オープニングテーマ

11.JPG

特徴的な1枚石からの切り出しと云われるアーチの山門がお出迎え。

12.JPG

やはり六連銭ですよね(?)

13.JPG

本堂参拝の後は、案内板に従い裏手の墓地へ。
「墓地で転ぶと良いことが無い」と云われるので風林火山コンビにドキドキ。
「こらぁ!走るな!」

14.JPG

中央が幸隆で写真向かって左が昌幸で、右は幸隆夫人のお墓だ。

15.JPG

真田家が長野市松代に移封に従い菩提寺は同地区の長国寺へ移り、
この長谷寺は長国寺の末寺となったとのこと。
とにかく真田家中興の祖幸隆は同地に眠るなれば、深く合掌。


続いて幸隆が築城したとされる真田本城跡へ。


16.JPG

17.JPG

幸隆がこめかみに血管を浮かび上がらせてふんばり、
謀議や戦の指示を行った厠が現存・・・あれ?(^_-)☆

18.JPG

曲輪は狭く細長く連なっているが、周囲は急な崖でもロープや手すりは皆無。
弾けて大騒ぎで走り回るチビたちが誤って転げ落ちないかヒヤヒヤだ (@@;)
「こらぁ、そんなに端に近寄るな!」

19.JPG

北東方面には先ほど来た道と史跡が望める。

20.JPG

反対の南西方面には綺麗な台形の砥石(といし)城跡が望め、
その奥が上田市街で、さらに遠くの奥が別所温泉だ。

21.JPG

新しく小綺麗な幟をガメようか謀議中だったらしいが、
私に見つかったので、急ぎにっこりと微笑んで誤魔化す彼ら。
「こらぁ!オレの分もよろしくぅ!」

22.JPG

この大地を幸隆や幼い昌幸兄弟も踏みしめたなるか? う~む、浪漫。

詳細はこちら! → 真田本城 〔 presents dy 俺の城!〕

23.JPG

さて続いて至近の真田氏歴史館と真田氏居館跡へ。

24.JPG

歴史館入口には記念撮影グッズだが、あれ? なんかおかしいぞ!

25.JPG

通常兜は後頭部全面を三角に覆うデザインのものなのに・・・。

26.jpg

これはただの工事ヘルメットを彩色し、厚紙で六連銭・・・ (ノД`)
まるで地元の盆踊り小中学校の卒業祝賀会の仮装レベルだ (ToT);;;


でも・・・私もやっちゃうもんね~(^^)v
(娘とのコミュニケーションに密かに安堵のオッさん 心で号泣(ノД`) )

27.JPG

さて館内は真田氏ゆかりの古文書、武具などが豊富だが、
注目はNHK時代劇『真田太平記』の撮影で実際に使用された甲冑だ。
若き日の丹波哲郎草刈正雄の写真に号泣 (ノД`)
 
そんな盛り上がりもあり、グッズ販売コーナーではMax ヒートアップ!
「欲しいモノは、今ここでしか無いので、何でも買ってしまえ」 と天の声が (^^)d

28.JPG

その隣の真田氏居館跡(御屋敷公園)へも散策だ。

29.JPG

常時はここに住み、いざ戦闘となれば本城へ立てこもり戦うということだ。
今は、なんの変哲も無い広場としか見えないが・・・(T_T)

詳細はこちら! → 真田氏館跡 〔 presents dy 俺の城!〕

30.JPG

予定ではこの後に砥石城跡も攻めるつもりであったが、日暮れゆえに翌日に延期だ。
そこで上田駅前の真田幸村像を写真に収めて、別所温泉へ向かうこととする。

が、走り出した1分後に気になる看板を発見!
[真田町 町原]とは・・・むうぅ、ここに実家を移そうか ( ̄∇ ̄)

32.JPG

急な思いつきでクルマを止めたので、先行のマダム車とはぐれてしまい、
見知らぬ土地で危うく迷子になるところだった・・・ごめんなさい<(_ _)>

まずは無事に追いつき、いよいよ上田市街地へ入る。
夕暮れの帰宅ラッシュ時間で混雑なれば慎重な運転を!
(ただもの “上田” に興奮しており回路は暴発中~♪ 車内でひとり騒ぐ私~♪)

33.JPG

やがて16年ぶりの上田駅前へ。
「ああっ! あそこに真田幸村がいるはずぅ! でも見えなぁ~い!」 全くうるさい。

34.JPG

しかし夕暮れでは写真撮影も技術的に難しいし、
周囲は混雑していて駐車も大変なので翌日に見送ることに。

でも単純に初めての市内の運転が愉しい。
『上田原』の看板等に反応したりしてネ。

途中のスーパーで今宵の懇親会の酒肴類等を確保する。
この地域で多い「イオン・ビッグ」覚えたぞ。

35.JPG

上田&真田とくれば必然的に名湯別所温泉!
  → 信州最古の温泉 別所温泉 公式ホームページ

36.JPG

今日の興奮を振り返り、明日の予定を確認し、
そもそも気の合う彼らとのお喋りが愉しみだ。

私はついに上田へ来て別所温泉に泊まっているのだ (^^)v        (つづく
nice!(1)  コメント(0) 

真田氏の史跡を歩く(1) 沼田→鳥居峠 [2013旅行]

私は真田幸村が大好きだ。
しかし彼を知れば知るほど、その父昌幸、祖父幸隆、
そして兄信之の存在が不可欠なことに気付く。
そしてこの三代4人各々のなんと魅力的なことか!

41.JPG

そんな彼らが生きた土地を訪問してみたい悲願がついに訪れた!
ではBGMは・・・  → 真田太平記 オープニングテーマ

38.JPG

長野県諏訪地方に住む従姉妹のマダムと旦那の俺の城!氏も歴史好き。
特に俺の城!氏も真田大好き人。
ちなみに職種は異なれどセロリと花卉と同じく農家。
そこで数年来の(農閑期に)「沼田で会おう!」計画が今年めでたく実施の段と。

その氏が製作した事前勉強パンフレットにただならぬ熱意を感じる <(_ _)>
このような作業の愉しさに大いに共感する私なれば、
もちろん私も事前勉強を気張って気分を盛り上げていたしで、
今回の計画での互いの相乗効果による火炎の凄まじさも想像されよう (^^)d

39.JPG

そこで今回のルートは1泊2日をフル活用のガチ旅行。
群馬県沼田市より長野県上田市の別所温泉へ宿泊し、
翌日最後は長野市松代地区で締めるという、まさにお真田てんこ盛り道中だ!

42.JPG

では9時に沼田城跡に集合!と息巻いていたのに、マダム御一行はいきなり遅刻 (`ε´)
こっちは真っ暗でクソ寒い中を5時過ぎに出て、
大雨の新潟県内、大雪の魚沼地方を走破して厳守してるのに!
ゆえに挨拶第一声は、「おめーら、気合いが足らねーな。おうおう (--#)」

43.JPG


さて、昌幸が攻略し、信之が治めた沼田城は、
特に北条氏と争った要害だが遺構は少ない。

45.JPG

広大な地域の隅っこにわずかな石垣を見るのみ。

46.JPG

説明書きもなく厳重に囲われた石は昌幸が首実検をした「平八郎石」。

47.JPG

断崖の上の要衝ゆえに眺望は抜群で、北西には名胡桃(なくるみ)城跡が望める?

48.JPG

しかし、全国の城跡同様ご多分にもれず、
域内は運動場と化していてジイさんたちがゲートボールを愉しんでいたりするが、
歴史ファンには少し残念なところだ。

詳細はこちら! → 沼田城 〔 presents dy 俺の城!〕

49.JPG

次に約4km離れた名胡桃城跡へ。

ちなみに、その途中の月夜野ICの看板等が目に入ると、
なぜか「松坂大輔 横浜高校の地獄の月夜野合宿」が自動的に連想される私。

51.JPG

さてここは豊臣秀吉の天下統一総仕上げの小田原北条氏討伐の、
きっかけとなった城跡なので歴史的価値も抜群だ。

52.JPG

当時真田の城であったが、城主鈴木主水が昌幸の偽手紙で城を留守にしたところを、
沼田の北条氏が急襲し騙し取ったのだ。
だから観てくれよ!と言わんばかりの、沿道の多くの旗指物が訴えている。

53.JPG

ここは曲輪跡が綺麗に整備されていてびっくり!
しかも親切な小父さんが無料で説明してくれるので大助かり ヾ(^v^)k

54.JPG

そんな思いもかけない展開にバカ夫婦は大騒ぎ ( ̄∇ ̄)~♪

55.JPG

詳細はこちら! → 名胡桃城 〔 presents dy 俺の城!〕


さて続いて東吾妻町の岩櫃(いわひつ)城跡へ向かうが、
その途中の山の中を上越新幹線の中山トンネルが通っている。
ここは水難工事のために、ついに直線ルートがとれなくて若干右に逸れる場所があり、
実際に乗車しトンネルに入ると、その地点なのだろう、減速し車体が傾くことが判る。
  → 『上越新幹線物語1979』

ま、そんなあれこれも道中の愉しみとな。

57.jpg

さて適当な昼食店を見つけてクルマを駐車すれば、
その目の前はお城風情に何となく惹かれる岩櫃城温泉が。
(ま、「それがどうした?」ということなんだけど・・・(^_-))

58.JPG

焼肉店だが焼き時間を要すが勿体ないので御法度=城攻めが忙しいのだ。

59.JPG

さて岩櫃城跡は岩櫃山の奇岩が難攻不落の要害を印象づけて燃えさせる。

60.jpg


トレランとしても鍛えられるだろう、その点でも燃える私 (^^)d

61.JPG

狭い山道を登ると駐車場には中型バスが=他に観光客がいるのか!? メジャー?

62.JPG

さて、この山城は幸隆が攻略し真田家のものとし、上田と沼田を結ぶ要衝で、
織田信長に攻められ武田家滅亡の危機には、昌幸が勝頼を迎えて戦おうとした城だ。
ゆえに広大で堅固である背景は想像に難くない。

では推参・・・鬱蒼たる、この山道の雰囲気は、もしかして・・・

63.JPG

やはり「熊出没注意」の看板が!

64.JPG

そんなことはお構いなしに、先鋒隊の4号アニキとシャテイコンビは疾走。
この険しい山道で、それなりの距離でも、たくましく風林火山!

65.JPG

対照的に日頃の運動不足の大人は、へばってマスます・・・(ノД`)

66.JPG

ここも激しい起伏の曲輪跡がありシビれますた。
しかし、この時期の風は冷たいなれど、草や藪が無いので眺望、視界は抜群。
夏期のヤブ蚊などに襲われる心配もないので、実は訪問適期かも (^_-)!

67.JPG

この眼下の吾妻川沿いに真田の軍勢や使者が往来したことだろう。う~む、浪漫。

68.JPG

詳細はこちら! → 岩櫃城 〔 presents dy 俺の城!〕


さてこの後は、およそ50km先の長野県上田市の旧真田町=
=真田氏発祥の地=真田ファンの聖地へ一気に向かう!
その道中も数々の真田家ゆかりの史跡があるが、
そこは1泊2日の時間の都合で断腸の思いで取捨選択だ。

そのR146を進むと真新しいコンクリートの巨大な橋群が視界に入り始める。

70.JPG

そう、この道中が、世論の物議をかもした有名な八ッ場ダムの工事現場なのだ。

71.jpg

これだけ付け替え道路や橋等の工事を進めれば巨大な利権の想像も難くない。
工事の大義名分もそれらしいが、私にはよく判らん。
あの時の民主党の鼻息の荒さのみが、今は何処吹く風と懐かしいかも。


やがて草津温泉や万座温泉の入口を過ぎて嬬恋村に入る。
高原のキャベツ畑で有名だが、以前はかすめただけなので、じっくりと景観に魅入る。
  → 草津温泉&テンコ盛り道中(1)

そんな移動路でも周囲の景観や人々の暮らしの様子が気になる私だ。
本当はボケ~ッと眺めていたいが、ドライバーなれば半減だが仕方ない。

73.jpg

そしていよいよ県境の鳥居峠だ。

75.jpg

地図で判り易いが、群馬県側はなだらかだが、長野県側は急峻な地形だ。
チャリの猛者はヒルクライムに燃える坂かも。


そんな地形の様子を運転しつつ満喫し、いよいよ真田氏発祥の地だ。
自然と気持ちが燃え上がり、ハンドルを握る手も汗ばむぜ (^_-)v     (つづく


nice!(1)  コメント(0) 

和牛市場2013・・・12月 [2013べご=和牛]

今年最後の和牛市場・・・いざ決戦の時迫る!

71.JPG

今回我が家は3頭出品のうち、1頭に赤襷が掛けられる。

72.JPG

これで少しは箔がつくと嬉しいが。赤備えというやつネ。

74.JPG

今回も購買者が多いので高値取引を期待させられる。

75.JPG

そして予定どおり10時から取引開始だが、期待通りの高値取引が展開される。

76.JPG

中には81.9万円と!(゜-゜)!
私が市場に参加するようになり7、8年だが、始めて目にする数字だ。
(我が家の期待値の2倍なれば、開いた口が塞がらない・・・)

77.JPG

さて開始1時間で我が家だが、恩恵に与り想像以上の取引だったので嬉しい (^^)v
赤備えの突撃で少しはアピールしたのか、どうなのか?

79.JPG

最後は生産者と購買者の取引エビデンス=引換券を持ち帰るが、
発行が遅々としていつも最後は混雑だ。
もう少し要領良く出来そうな感じだが、世の中いろいろなのだろう (T_T)

80.JPG

結局今年の市場全般は高値取引が続き助かったが、
不況時には半値になることもあるらしく、浮かれてはいられない。
どこでも市場原理とは難しいものだ。

このようにゆとりが持てた時こそ、
しっかりと荒波に備えたいということろだ (^_-)☆



nice!(1)  コメント(0) 

視察2013・・・12月(1) 新潟クボタ中央SC [-2013視察研修]

町内認定農業者協議会の研修旅行が開催されたので参加してきた。

研修目玉は新潟市秋葉区(新津地区)の新潟クボタ中央SCでの、
水稲鉄コーティング直播栽培についてだ。

81.JPG


始めに会議室にて資料での概要説明と質疑応答だ。
従来の苗を育てて田んぼへ移植する方法に対し、
直播は苗を育てる、運搬する工程が省かれるので、
低コスト化、省力、軽労化が期待できる。
新潟県内でも相当数の実績を挙げつつあるので聴講にも熱が入る。
(カトパン似の可愛い女性社員の説明にオッさんはデレデレ気分 (*^_^*))

82.JPG

その後は直播専用の田植機やユニット類の見学だ。

83.JPG

従来の移植機の後ろをアタッチメント式で直播に交換可能な機種もあれば、
大いに食指がくすぐられるのも事実 (^^)

84.JPG

86.JPG

と同時にトラクターなど様々な機械の展示にも興味津々だ。

87.JPG

そちらも熱い質疑応答が展開し、それは漢の物欲の裏返しかも。

88.JPG

私はこの運搬車両がランキング上位なのだが・・・。

89.JPG

直播は田んぼを選ぶし、小国の寒さ=低い地温に初期育成の不安はあるが、
それ以上に大きな魅力を感じる方法だ。
我が家は稲WCSも多いので、そちらで試して飯米へ展開しても好いかもしれない。
・・・今後の経営的に大いに考えさせられる方法だ。う~む。


さて新潟は日本海の美味いものに事欠かないので先々の食事も豪勢だ。

92.JPG

そして越後一宮 弥彦神社の傍が宿泊場所なので、
もちろん夕暮れに参拝して、日頃の禊と祈念で清々しい気持ちになり、
お楽しみのグダグダ懇親慰労会へ突入するのであったのだったん (^^)v

91.JPG

日頃は田んぼ等で顔を合わせても、
挨拶程度しか言葉を交わしたことのない先輩たちと、
膝を交えての熱の入った会話には大いに参考になることがあり有意義であった。
・・・経営とは何か?
・・・その具体的な方法、実践。
・・・周囲、特に非農家への気遣い、地域のローカルルールについて。
・・・それらの様々な心構え、根性論 (嫌いではない)
などなど。なんと真面目な私たちでしょう (^^)d

実績に裏打ちされた先輩方の話は、時には耳痛く辛いこともあるが、
それが大事なことで有り難いことだ。
チャレンジャーなれば、初心忘るべからず、そして常に模索。
今日も好き機会でありました・・・(^^)v


nice!(1)  コメント(0) 

上杉で武田を呑む [-2013近況]

いよいよ今週末は長野のマダム一家と会う予定なので、
お土産物色に米沢市の上杉城史苑をブラついて見つけた上杉家の升。

桧製で上杉家家紋、旗印、謙信の辞世が焼印されておりカッコイイ。

上杉謙信(1530~1578年) 辞世の句

四十九年一睡夢
一期栄華一盃酒

(49年のわが生涯は、振り返ってみれば一睡の夢に過ぎなかった。
 この世の栄華は、一盃の美味しい酒に等しい。)

85.JPG

いつもの悪い癖で自分用も買ってしまった・・・(^_-)

86.JPG

こよなく酒を愛した上杉謙信。
では先に仕入れた武田信玄領の『真澄』を味わってくれようか。
上杉で武田を呑む! ガハハ(^^)v

87.JPG

実は以前にマダムより武田家の升をいただいていたりして・・・。
実は毎回の日本酒は同じく桧の香りも味わいながら愛用していたのだ。

風林火山で子宝酒!・・・(だから、子宝はもう遠慮するって (^▽^) )

88.JPG

寒くなり日本酒の美味き季節となった。
上杉&武田=川中島の酒升で乾杯 ( ^_^)/□☆□\(^_^ )
お気に入りの盃で酒を愉しむ・・・小さな贅沢万歳。

89.JPG

本格的な降雪まで、もう少し外仕事に励まねば (^^;)


nice!(1)  コメント(0) 

初めての真室川町にて [2013旅行]

さてその2件の視察会場となった県北部の真室川町。
  → 視察2013・・・11月(3) 真室川町秋山牧場
  → 視察2013・・・11月(4) 真室川町E氏

87.JPG

豪雪地帯で人口も似たり寄ったりなれば初めての訪問に興味津々。

93.JPG


奥羽本線の「森の停車場」なる洒落た駅名と駅舎Good!

86.JPG

木の香りの舎内は癒やされます。

88.JPG

隣は地元の農産物、加工品等の売店なれば町の意欲を感じる。

89.JPG

本線なので我が米坂線よりも運行量は多い模様。
新庄市へ通学する高校生も多いと想像されるので、
部活動後の帰宅時間として下り19時台に1本欲しいと思うは、
子育てど真ん中の私の考察・・・と勝手に余計な想像が愉しいかも。

90.JPG

駅前通り。

91.JPG

そして商店街。

92.JPG

う~む、我が小国町も負けられないな!・・・とオレは町長か?

まずは見知らぬ土地を何気なく訪問、散策することも好きな私。
その土地土地に人が居て、各々の生活があり、文化がある。
そんな些細な風や香りを感じることが好きなのだ。

・・・ということで、さらば真室川町 (^^)/ いつかまた来るかも ♪

94.JPG

長い帰路道中の道の駅尾花沢で肉まんを。
「尾花沢牛」なんてブランドがあるのか。ほほう。あいかわらず知らぬこと多し。

97.JPG

そして売店よりヨーグルトの酒をGET!したわけだ (^^)d

98.JPG

んで、その余韻を駆り、帰宅の夜ランニングで12km走ったとさ (^^)v


nice!(1)  コメント(0) 

視察2013・・・11月(4) 真室川町E氏 [-2013視察研修]

引き続き、真室川町内の繁殖和牛農家Eさんの牛舎へ。

21.JPG

我が家も同じ繁殖和牛で、目指す規模もほぼ同じなれば、
牛舎構造も大いに参考になるはず、と期待に胸が弾む。

22.JPG

やはり引き戸ですか。

23.JPG

Eさんは50歳台後半、20歳台半ばの親子なれば、ウチも数年後・・・。

24.JPG

やはりトラス構造で低コスト化。

25.JPG

いました、いましたチビたちが ♪

26.JPG

親の管理から子の管理と忙しく繁雑な様子が。

27.JPG

秋山牧場で製造していたTMRサイレージが各農家でも利用できるは良い。
安全安心な地産地消を町ぐるみで推進している姿勢が羨ましいかも。

38.JPG

28.JPG

受胎、出産は工業製品のように予定通りにはゆかないので、
出産が一時に集中したり、或いは逆に全く無かったりと難しい世界である。
親牛の受精、受胎、出産の管理をしつつ、子牛の育成管理も重なるので、
自然と目の届く管理量は限られてくる。

肥育和牛は子どもから大人へと育てるだけの比較的平容な管理ゆえに、
牛舎はシンプルな構造で済むが、
繁殖和牛は受胎、出産、育成のサイクルを繰り返すので、
親牛、子牛の状態に臨機応変に対応できる構造が必要となろう。

29.JPG

こちらも当初は育成ステージに合わせた構造で建築したが、
実際は机上シミュレーションどおりにゆかずに苦労している様子が伺える。
例えばスタンチョンエリアは子牛の群飼いエリアの予定であったが、
なかなか思い通りにゆかないようだ。

31.JPG

水飲みカップの内側配置の問題点を発見! ・・・ううぅむヤバい (゜-゜)

32.JPG

床の敷料の保管方法、場所なども考えさせられる。

34.JPG

やはり寒期はヒーターの下に子牛は集まるようだ。
下痢など起こさないように子牛の管理も頭痛が痛い

35.JPG

36.JPG

親子牛の管理、環境(≒清掃)管理など様々な作業に柔軟に対応可能なこと。
これはまさに製造工場のIE(Industry Engineering)カイゼンの出番なれば、
製造業サラリーマン時代に昔取った杵柄よろしく、ちと燃えてしまう (^^)v

まずは様々にシミュレーションしてレイアウト等に頭を絞ろう。


今回も有意義な視察であった=貴重な機会をありがとうございました<(_ _)>


nice!(1)  コメント(0)